2026年06月02日(火) 

 

>東洋経済オンライン   >なぜ現代の若者は忖度しない? ここまで合理的な “無敵世代” が生まれた背景、学校ではどんな力を育むべきか …    >東洋経済education x ICTの意見・   >10時間・   

>現代の若者たちが、40~50代の目には「無敵」に映ることがある。    

>決められたルールや制度に従って、きわめてフラットに、合理的に行動する……そのような特徴を持つ彼らを、金沢大学教授の金間大介氏は「無敵世代」と呼ぶ。    

>2010年代の若者とは、またちょっと異なるこの新しい世代の実像について克明に描いた『無敵化する若者たち』著者の金間氏に聞いた。    

>小中高校生ほど傾向は強まっている…    

>——金間先生は著書『無敵化する若者たち』の中で、20代前半の若者の特徴を極めて合理的に考える世代だと分析していますね。    

>象徴的なのは、有給休暇の捉え方です。    

>上の世代は、大型連休の合間に休みを取る際に「部長はどうするのだろう」と周囲の状況をうかがいながら、自分が休みを取るタイミングを決める。    

>一方、若者たちは周りの有給取得状況を調査することなく、「明日はお休みします」と言って自由なタイミングで有休を取ります。    

>ほかにも、エレベーターで上司と乗り合わせてもイヤホンを外さない、飲み会でお酒を注がれても自分からは注ぎ返さない、といった「アウトじゃないけど微妙に失礼」と感じる行動が見られ、上の世代がびっくりすることもあるでしょう。    

>周囲との調和やバランスを取ることが「正解」だと考えてきた上の世代から見れば、忖度を排した彼らの振る舞いは、まさに「無敵」に映るのかもしれません。    

>しかし、本人たちに悪気や反抗心があるわけではないのです。    

>休暇の例では、彼らにとって有休は権利であり、取得が推奨されているから休む。    

>マナーについても、合理的でない慣習には縛られない。    

>決められたルールや制度に従って、きわめてフラットに、合理的に行動しているだけなのです。     

 

相手の顔色をうかがうことなく、ドライに割り切るのですね。アメリカ人がそうですね。      

 

>20代前半を見たとき、こうした若者たちが全体の半分程度を占めるようになってきた、と見ています。    

>——こうした傾向は高校生や小中学生にも見られるのでしょうか。    

>若いほど強まっていると感じています。    

>例えば、最近の小学生は「無理して学校に行かなくていい」という大人が発してきたメッセージをストレートに受け取って実行していたりしますよね。    

>ある日突然、わが子が「今日は行きたくない」と学校を休むので、親は「何か悩みがあるのか」と心配しますが、翌日には何事もなかったかのように登校していく。    

>これは従来の不登校とは性質が異なります。      

 

そうですね。    

 

>子どもに休んだ訳をよくよく聞くと、単に「その日行きたくなかったから休んだだけ」で、困っているとか、悩みがあるわけではなかったのかと拍子抜けするケースは珍しくありません。    

>「ダイバーシティネイティブ」であることも影響    

>——前著『先生、どうか皆の前でほめないで下さい――いい子症候群の若者たち』では、若者を「いい子」と分析していました。    

>現代の若者とはどう違うのでしょうか。    

>2010年代の若者は、たとえ本心では退屈だと思っていても、上司の前では「とても勉強になるお話をありがとうございました」と笑顔で演技をする気遣いがありました。    

 

お世辞がうまいですね。   

 

>でも、現在の20代前半の人たちを見ていると、その演技の部分が徐々に抜け落ちてきたと感じます。    

>彼らは無理に周囲に合わせようとはしないので、心にもないのに「明日からがんばります」と意欲のあるふりをすることはありません。    

>もし上の世代が価値観を押し付けるようなことがあれば、「それは先輩の価値観ですよね」と心の中で冷静に切り分けます。    

>こうした様子を40・50代が目の当たりにすると、「自分が上司の前では絶対にできなかったことを平気でできる。    

>なんてメンタルが強いんだ」と感じるわけですが、彼らにとってはそれが自然な姿なのです。    

 

序列メンタリィティが抜けてきているのですね。   

 

>この背景には、彼らが「ダイバーシティネイティブ」であることも影響しています。    

>2010年以降に生まれたアルファ世代やその少し上の世代にとって、さまざまなルーツやバックグラウンドを持つクラスメートが隣にいるのはごく当たり前の日常風景です。    

>つまり、生まれた時から多様性が前提の環境で育っているため、あえてダイバーシティを意識する必要さえありません。    

>だからこそ、国籍や外見といった表面的な違いだけでなく、「内面的なメンタルのありかたも人それぞれ違うのだ」ということをよく理解しています。    

>「人は人、自分は自分」という感覚がある。    

>だから必要以上に自分の気持ちを表に出さないし、そもそも人の気持ちというものに介入しない、されない。    

>「感情労働」といった言葉があるくらい上の世代は気持ちの一体感を大事にしますから、この点でのギャップは大きいかもしれませんね。     

 

そうですね。’精神一到何事か成らざらん’ ですね。   

 

>「無敵」な世代が生まれた背景    

>——なぜ、これほどまでに合理的で周囲に左右されない「無敵」な世代が生まれたのでしょうか。    

>まず、「無敵」といっても本当に強いわけではなく、むしろ心身ともに今の若者は弱くなってきたと指摘する人もいるくらいです。    

>ただ、そんなときはいつも上の世代の人が先んじて手当てしてくれますし、黙っていれば正解を教えてくれる。    

>そんな様子から、僕が「なんて今の若者って無敵なの」と皮肉っている状態ですね。    

>決して若者たち自身がこの状態を望んだわけではありません。    

>その背景には何があるのかというと、生産年齢人口の減少といった社会・経済環境の変化もありますが、最大の要因は彼らの親世代にあると考えています。    

>今の20代前半の親は平均すると50代前半になります。    

>彼らはバブル崩壊後の「失われた35年」を社会人として生き抜き、リストラやフリーターの増加といったニュースを見聞きしながら子育てをしてきました。    

>上の世代から「お前の代わりはいくらでもいる」と厳しい扱いを受け、人口が多いがゆえの競争の中で我慢を強いられ、「組織からこぼれ落ちたら二度と戻れない」という強い危機感を抱いてきた世代です。    

>苦労はあっても報われることの少なかった親が、子どもには同じ思いをさせたくないと考えるのは自然なことです。    

>わが子を失敗から遠ざけ、子どもが迷わないよう事前に正解を教え、先回りして障害を取り除いて徹底的に守ろうとする、それこそ親の愛情でしょう。    

>今の若者たちは大人たちからの「我慢しなくていい」「無理はしなくていい」という教えを忠実に守っているに過ぎません。    

>だからこそ、先生や上司に嫌われても「自分は自分。    

>周囲と合わなくてもしょうがない」「みんなに好かれる必要はない」と割り切れます。    

>誰かが悪かったわけではなく、みんながよかれと思ってやってきた結果、リスクを取らず、慎重で安定志向の無敵な世代が誕生したのです。    

>親世代は、こうやって自分の子を守ってきたのに、会社に行くと「まずは自分で考えて動きなさい」と若者に主体的に動くことを求めたりします。    

>ちょっと矛盾してますよね。    

>こうした環境で育った若者が、社会に出た途端に「主体性」を求められる。    

>彼らが戸惑うのは無理もありませんよね。    

>「主体性」は教育現場のキーワードにもなっている    

>——「主体性」は、2020年スタートの学習指導要領で「主体的・対話的で深い学び」が重視されるなど教育現場でもキーワードになっています。    

>今、学校では答えのない課題を主体的に解決する探究学習に注力しています。    

>僕の考え方としては、「主体的」という言葉は学習指導要領や教育の文脈では使わないほうがいいのではないかと思っています。      

>本来は、自らの考えに基づいて行動することを指す主体性を「外から育む」とはどういうことなのか? という論理矛盾に向き合わないまま進んでしまっているからです。    

>例えば、大学入試の総合型選抜における面接でも、受験生は「自主的に地域経済活性化のために活動しました」などとアピールしますが、その多くはかつて先輩がやって高評価だったことの焼き直しだったり、塾の先生などに指導された内容だったりするわけです。    

>つまり「主体的ってこういうもの」というテンプレートがあって、そのとおりの行動を取ることで主体的だと評価されていると。    

>主体性を外から育む難しさは、こういうところにあるんです。    

>現場の先生方もみんなおかしいと感じていると思います。    

>実際、そうやって主体性をアピールして大学に入った後は、再び横並びに戻ります。    

 

平凡は安泰の基ですね。出る杭は打たれる。   

 

>例えば何の科目を履修するかは「同級生が何を履修するか」で決まったり。    

>この構図、企業における新卒採用とまったく同じですよね。    

>採用面接における就活生の“主体的な”振る舞いと、実際に入社した後の新入社員のおとなしさに驚く先輩世代はとても多いと思います。    

>——主体的と評価されるために「主体的な行動」を演じているということですね。    

>学校ではどのような力を育んでいくのがよいでしょうか。     

>例えば、給食を食べずに毎日焼きそばパンを持参する子がいたとして、本来であれば主体的な行動として評価してよいはずですが、学校はそれをたしなめるでしょう。    

>それならば、最初からあいまいな「主体的」などと言わずに、「社会生活を送るための土台を一緒に身につけよう」とするほうが、よほど健全です。    

>社会生活を送る土台としての「型」は誰もが持つべき基本であり、教育で育まれる重要な要素です。    

>そういう意味では、教科学習で学ぶことをもっと前面に出してもいいと思うんです。    

>算数や数学などの教科学習で学ぶことも、給食を残さず食べようということも、授業がある日は学校に来るということも、「型」として受け入れよう、「型」を守ろうと。    

>教育の8割はその「型」の習得に充て、残りの2割で個性や自分らしさを発揮すればいい。    

>「型」は「型」として大切にしつつ、その上に「個」を乗せるイメージ。    

>こうした切り分けを明確にすれば、先生たちにもわかりやすくなるのではないでしょうか。    

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になり、指導力を発揮することもできます。自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ので、自己の見解を明らかにすれば我々は国際社会において相手の理解も得られます。未来社会の建設に協力することも可能になり、我々日本人は、人類の進歩により一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数8 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2026/06/02 20:43
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