2019年01月17日(木) 

 

 

>日本語の不思議 表意文字と表音文字 >リンク より

>今回は、日本人のユニークさの真意というものを文字という言語面からみていこう。>実は、どの世界を見ても、言語を示す文字というのは、基本、一種類しかない。

 

そうでしょうね。

 

>しかし、こと日本人に限っては、ひらがな、カタカナ、漢字という三種類の文字を使い分けている。>中には、ローマ字と数字を加えて五種類だ!という方もいるが、実は、日本では、言語を記すために、複数の文字を使い分ける希有な国民であるのだ。

 

そうですね。日本語の ‘ボーイ’ は、文中で ‘boy’ にはなりませんね。確かに使い分けられていますね。

 

>ただ、特筆すべきは、単にその種類が多いというだけの話ではない。>実は、日本人は大別して二種類の文字を同時に使い分けている。>それが、ひらがなを代表とする表音文字と漢字を代表とする表意文字である。

 

そうですね。わが国の学生は、漢字の字形と音訓の習得に多大な月日を費やしていますね。

 

>漢字は、その一字一字にその意味を象ったイメージというものがある。>昔、とある人材研修で、粘土を使って、感情を表現してください、というものがあったが、当然、そんな漠然したものを表現する場合、その作品は、その意味を象ったものとなる。>そのため、漢字はその物事の真意を反映していることが多い。

 

そうですね。物事の真意は、人により異なっているでしょうね。その作品は、人人により違った結果になるでしょうね。

 

>例えば、「我」という字。>これは、一見、自分を意味している漢字だと安易に理解しがちだが、この字の意味するところは思いのほか深い。>実は、この「我」という字は、ギザギザした、のこぎりのような刃物と矛という武具が掛け合わさった字となる。>つまり、強力な武器であると同時に、危ないものを意味するのだ。>実際、「我を出す」ということは、自分を誇示する場合に使われるが、反面、「我を捨てる」といえば、それは、「我」の持つ危険性を意味するところにもなる。

 

連想ゲームに限りなしか。忖度 (推察) は個人の勝手な解釈ですから、議論にはなりませんね。歌会のようなものか。

 

>単純に、一人称として捉えがちの字も、その意味するところは、非常に深いものなのである。

 

我々日本人には、‘我・私・俺’ などいろいろあって、一人称の概念は定まりませんね。

漢人 (中国人) は、自分たちの意味を漢字で表して来ました。しかし、彼らは外国人の意味を表すための漢字を作ることはやって来なかった。だか、外国人の意味を学ぶときに苦労する。

 

>対して、表音文字は、音を意味する。>その字自体に深い意味はない。

 

表音文字は音読を容易にするので、言語の習得に威力を発揮しますね。特にローマ字 (alphabet) は、非漢字圏の学生が日本語を学ぶときに便利です。

 

>以前、中国のネットニュースで、日本にノーベル化学賞が多く、中国に取れない理由をこの文字の差とみる面白い意見がみられた。

 

化学物質の名前は多いので、古来の漢字の数では容易には対応できないでしょうね。例えば、’ラジウム’ の中国語名は、 ‘日本語にはない文字 (金偏に雷: léi)’ となります。私の手持ちの漢和辞典では対応できませんでした。

 

>どうやら理数系の事象は、単純に数値や規則を事象として捉えるため、表意文字だとその字に対する固定観念が邪魔立てし、演算的想像力の障害になるというのだ。>だから、この場合においては、表音文字の方が適しているという。

 

そうでしょうね。中国人は、和文の中のカナ文字を見ると怒りに似たものを感じるようですね。表音に慣れるには、時間がかかりますね。

 

>しかし、日本人は、この両者の特徴を踏まえながら、ひとつの言語として併用している。

 

我々日本人は、漢字の ‘音読み’ と ‘訓読み’ と ‘それ以外の読み’ をフリガナの助けを借りて使って苦労して使っています。

 

>その思考は柔軟であり、複雑な表現に対応できる順応性を示しているのだ。

 

そうでしょうかね。我田引水にはなりませんかね。日本人は、忖度 (推察) に長けていますからね。しかし、その忖度は、個人の勝手な解釈によるものであるから責任を伴いません。

 

>日本人の高い順応性は、もしかしたら、こうした言語脳という観点からも証明できるのかもしれない。

 

そうでしょうね。日本人は、無哲学・能天気だから ‘つかみどころがない’ ですね。

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)

 

>日本人は世界でも希有な国民であると。

 

そうですね。これは、超国家主義 (ultra-nationalism) になるでしょうね。あまり有頂天にならぬ方が良いですね。これも、序列メンタリティのなせる業か。自画自賛症候群と言うのでしょうね。

‘「こんなに世界から愛されている日本」、「イギリスに住んで確信! 日本はイギリスより50年進んでいる」、「日本人に生まれて、まあよかった」など、日本では最近、自国を自画自賛する内容の本・雑誌が増えている。これまで、「奥ゆかしい」、「謙虚」と自負していた日本人がこの種の本を書いているのは、中国や韓国などの隣国の急速な台頭を背景に、「アジアナンバーワン」との自信を保つためで、「自画自賛症候群」を患っているとの声が上がっている。環球時報が報じた。’ (引用終り)

結局、日本人は、’上と見るか、下とみるか’ の考え方からは逃れられない。上下思考は、国粋主義の源泉となるのか。日本語の階称 (言葉遣い) は、精神の危険な因子になるのであろうか。

 

>(引用終わり) 

 

 

 

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閲覧数659 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/01/17 14:39
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