2026年08月15日(土) 

 

AERA DIGITAL   >「慶應合格でも国立じゃない」「上智でも入試方式でバカにされた」wakatte.tv」を批判した九州大学教授に寄せられた学歴で病む学生の声   >川口穣の意見   >・5時間・   

>「明治なんて行ったら恥」「法政でコンプ持っていない人いない」――。    

>大学の入試偏差値をもとに学生をいじる「学歴」系のYouTube番組が人気を集めている。    

>なかでも「wakatte.tv」(登録者77.5万人)はその筆頭として知られる一方、過激な内容も少なくない。    

>そんな中、九州大学法学部の岡﨑晴輝教授がXに、wakatte.tvを名指しして「大学の入学難易度を基準に学生をからかうというスタイルには強い嫌悪感を覚えます」と投稿したことがきっかけで、SNSでは激しい論争が巻き起こった。    

>今回の投稿の背景には何があったのか。    

>岡﨑教授本人に聞いた。    

          *  *    

>――今回の投稿以前から、学歴や入試結果が学生の精神面に与える影響について、問題意識を持っていたのでしょうか。    

> 私は自殺対策に取り組む団体の理事・監事を長く務めてきましたが、子どもの自殺、学生の自殺が増えているのはデータとしても、実感としても感じています。    

>そして、大学教員としては1年生の授業のほかに1年生のクラス担任も担当し、入試の結果によって気を病んでしまう学生を見てきました。    

>私の所属する九州大学法学部は難関と言われますが、後期入試で入学してくる学生のなかには、前期日程で東京大学や京都大学に不合格となった子たちも少なくありません。    

>うまく気持ちを切り替えている学生も多い一方で、本当に病気になってしまったり、学校に通えなくなってしまったりする学生もいないわけではない。    

>そうした学生たちの相談を受けてきたという経緯があるのです。    

> 一方で、大学全入時代になり、入試の負担自体は多少軽くなったと思っていました。    

>恥ずかしながら「学歴厨」という言葉を知ったのも、偏差値をネタにするチャンネルが人気なことを知ったのもつい最近です。    

>九州大学は比較的「被害者」が少ないこともあって、深刻さに気付いていなかった。    

>ただ、病んでしまう子の背景にはこんな原因もあったのかと胸を突かれる思いでした。    

>■受験生やその親から届いた200通のメッセージ    

>――wakatte.tv側は「エンタメである」「出演者には学歴をいじるとこを撮影前に説明している」と主張しています。    

>他にも「学歴ネタ」を扱うチャンネルの多くは「エンタメ」と言っており、全体を通してみると必ずしもバカにしているだけではないようですが、その点についてはどう考えますか。    

> そもそも、入学偏差値や大学の難易度をエンタメとして消費すること自体問題が大きいですし、当事者を本当に悩ませ、苦しめています。    

>「自分は頑張って第一志望に合格した」と誇りに思うことはいいですが、他者を見下すことはまったく違います。    

> 今回、私のもとには学生や受験生、その親から200通ほどのダイレクトメッセージが届きました。    

>深刻な例も多くありました。「浪人している子どもが大学の偏差値に固執して精神的におかしくなってしまっている」「大学にコンプレックスがあって、でも自分が悪いんだと思い、声を挙げられなかった」という声も多く届いています。    

>また、慶應大学に合格したのに「国立じゃないのか」と言われたとか、上智大学に入ったのに「入試方法でバカにされた」とか、「難関大」と言われる大学であっても徹底的に序列化される風潮も感じました。    

YouTubeチャンネルでは推薦入試をおとしめて一般入試を受けろということも言っているようです。    

>これはもう、エンタメというよりも学歴不安をあおって受験業界に誘導する、カルト宗教のようなものと言って差し支えないでしょう。    

>いわば「学歴カルト」です。    

> なかには、ブラックジョークとして受け流せる人もいるでしょう。    

>しかし、本当に嫌だなと感じる人もいますし、普段の会話でもマネする人が増え、それがどんどん広がって、感覚がまひしてきてしまっていると思います。    

>「入学偏差値で他者をバカにしていい」という風潮の背景には、こうしたメディアの影響があると思います。    

 

上とみるか、下とみるかの判断は日本語文法による要請ですからね。   

 

> また、「嫌なら見なければいい」という反論もありますが、親やクラスメートが熱心に見ていると、家庭や教室で否応なしに「学歴厨」の価値観にさらされてしまうのです。

 

日本人の必要悪といったところですね。序列無しでは礼儀正しい日本人にはなれません。      

 

>――「学歴による区別」はどうでしょう。    

>就職採用時の学歴フィルターはいまだに存在するとされています。   

 

それは序列社会の仕来りですね。   

 

>また、大学の難易度が本人の能力や努力を評価する指標として機能していることについては、どのように考えていますか。    

 

大学入試の成績は子供の勉強の学習成果ですね。   

 

> 本来、学歴とは「博士」なのか「修士」なのかといった違いです。    

>私は研究者ですから、博士の学位がある意味で免状のようなものです。    

>一方、「どこの大学に入学したか、卒業したか」は本来関係ないはずです。    

 

そうですね。   

 

> 大学教員として学生を見ていると、同じような偏差値で入学してきた学生でも千差万別です。    

100点に近い答案を書く学生もいれば、ゼロ点にしたい答案もある。    

>ましてや、意欲やコミュニケーション能力、創造性などは全く違います。    

>必ずしも有名でない大学で働く複数の教授からも「ものすごくとがった発想をする学生が大勢いておもしろい」というダイレクトメッセージをいただきました。    

>だから、入学偏差値が本人の能力を表すとは思えません。    

>学歴フィルターは企業側の選抜コスト削減が目的でしょうけれど、筆記試験でもAI面接でも、スクリーニングする方法はあります。    

>大学名だけで区別しない方が多様な人材を獲得するチャンスが増えて、企業にとってもプラスなはずです。     

 

そうですね。   

 

>■学歴フィルターも社会全体でなくすべき

――「どこの大学に入学したかは本人の努力の結果であり、区別はあって当然」という意見も多く聞かれます。    

 

大学入試は所詮子供の勉強成果ですね。没個性の励みです。学問とは関係がない。      

 

> 学歴は自己責任と考える人も多いですが、そうではないでしょう。    

>本人の持って生まれた素質、家庭環境や学校環境、思春期がいつ訪れたかによって18歳時点の学力は大きく違うはずです。    

>それを「本人の努力」という言葉で乱暴にまとめ、自己責任として切り捨てるのは間違っています。    

>「自分は努力をした」と思っている人は、自分がいかに恵まれた環境で育ってきたのか、一度考えてみてほしいと思います。    

>――今後、日本社会にはどんな変化を期待しますか。    

> まず、学歴嘲笑をやめる。    

 

それは難しいですね。今の学歴は昔の身分の言い換えですから。生涯変わることのない身分制度から、個人の努力で変える可能性のある学歴社会に移行して、国民は喜んだ。      

 

>少なくとも公の場で「Fラン」という言葉を使ったり、偏差値を持って人を見下したりしない。    

>これはすぐにできるはずです。    

>学歴フィルターも社会全体でなくすべきでしょう。   

 

これも難しいでしょうね。   

 

>その方が正義にかないますし、学生にとっても企業にとってもメリットになります。    

>大学も変わらなくてはなりません。    

>もっと個性を出していい。    

>「東大の縮小コピー」ではなくて、大学ごと、学部ごとの個性や特色で選ばれるようになるべきでしょう。    

>そうなれば、偏差値の影響は大幅に弱まるはずです。

 

人間序列の形成には没個性であることが必要ですね。個性の比較が入れば、個性のあるなしによって序列の比較が不公平になります。   

 

> 私は九大法学部の入試担当も長く務めてきました。    

>後期日程を、共通テストのほかは特別な対策が必要ない授業理解度確認試験に変えたりしていますが、まだ道半ばです。    

>私個人は、学校推薦入試を増やしたいと考えています。    

>いま共通テストのボーダーが77分くらいだとされていますが、本当は7割くらいだったとしても本人の意欲の方が大事だと考えています。    

 

そうですね。意思が重要ですね。      

 

>入試の点数と卒業時の成績に相関関係がないことは東京理科大学の調査結果などからも明らかです。    

>我々大学ももっと変わる必要があります。    

 

そうですね。子供の勉強は他人の考えを述べること。大人の勉強は自己の考えを述べることですね。   

 

(聞き手・構成/AERA編集部・川口穣)      

 

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、上と見るか・下と見るかの世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが日本社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。人間としての順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、我が国の序列競争の激しさは個性の育成の足かせになっている。自己実現の妨げになっている。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅苦しい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文 (時制のある構文) が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる個人的な義務) を果たすことに懸命になる。そして、かたい契りの義兄弟になる者もいる。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。個性に焦点を絞ることのない人間比較の叙勲は国体 (序列国家) に関する国民の意識を高めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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