2019年07月23日(火) 

 

>国家が国策として戦争を遂行した結果、敗戦し長期の占領支配を受け国家社会の在り方の変更を強いられた事実がありながら、継続している国家がその責任を論じないで済ませられると考えるのなら、国家の尊厳などを語られることを控えられたほうがよろしい。

 

そうですね。もっと真面目な国民になりましょう。

 

> 占領がなくとも、国家が国策として戦争を遂行し敗戦すれば、戦争目的の是非からはじまって開戦判断・遂行体制・戦術問題さらには戦争終結判断に至るまで検討の対象にし、敗戦の責任を明確にするのが責務です。

 

そうですね。敗戦の責任者は誰かな。責任者が責任を果たせば、貴重な大戦史が完成しますね。

 

>この責務を果たすことなく、国家が、「お国のために身を捧げた」英霊をまつるなぞおこがましいと断じます。

 

そうですね。古代国家の風習でしょうね。

何事も理路整然と説明する習慣をつけなければなりませんね。

今のままでは、貴重な体験から何も得られませんね。学習の好きな、もっと考える人になりましょう。

 

我々の問題点は、’あるべき姿’ の内容を脳裏に想定できないことですね。自己の考える ’あるべき姿’ を表明して現実を批判すれば、批判精神を表したことになるでしょう。考えの基準は容易には変わらないから、相手に信頼されます。

自己の基準も示すことなくただ ‘事の次第’ のみを語り続ければ、’それでどうした’ ということになる。この質問には、日本人は答えが出ない。それで、’つかみどころのない人間’ ということになります。

‘あるべき姿’ の内容は、非現実 (考え) の内容です。考えの内容は、時制 (tense) のある文章内容といて表現されます。ところが、日本語の文法には、時制というものがない。だから、日本語では、非現実 (考え) を表すことができません。そのため、日本語は ‘写生画の言葉’ であると言われています。

ある現実の内容を基準にとって他の現実を批判すれば、それは上下判断のようなものになってとりとめがない。現実は、千変万化するからであります。

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)

英文法には、時制があります。我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、文法における時制の重要さを十分に理解する必要があります。両言語を話すことができれば、日本語特有の閉塞感に襲われることもありません。我々日本人は、意思と世界観の表現法を獲得して国際的にも信頼関係を作ることが可能です。未来社会の建設に広く協力者を得て、人類の進歩に貢献できることでしょう。

 

 

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閲覧数327 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/07/23 02:51
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