2019年07月30日(火) 

 

 

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>「人口減社会」についての論集の編者を依頼された。

(略)

> 先日毎日新聞が専門家に人口減についての意見を徴する座談会を企画した。>その結論は「楽観する問題ではないが、かといって悲観的になるのではなく、人口減は既定の事実と受け止めて、対処法をどうするか考えたらいい」というものだった。>申し訳ないが、それは結論ではなく議論の前提だと思う。

 

そうですね。

 

>最後に出席者の一人福田康夫元首相が「国家の行く末を総合的に考える中心がいない」と言い捨てて話は終わった。

 

わが国には、国家の行く末を総合的に考える中心が抜け落ちているのですね。その原因は、日本人に世界観がないからでしょう。

 

>人口減については、政府部内では何のプランもなく、誰かがプランを立てなければならないということについての合意さえ存在しないということがわかった。

 

世界観がないのでは、国家のマスター・プラン、グランドデザインといったものを考える余地はないですね。だから、合意もありません。

 

>その点では有意義な座談会だった。> 出席者たちは「悲観的になってはならない」という点では一致していた。

 

日本人は、常に ‘今・ここ’ を考えている。ナウな感じのする人間である。浮いた気分でいて、奥がない。だから、浮世に住んでいる。しかし、常に閉塞感に付きまとわれている。だから、憂世にも住んでいる。これは、昔からそうである。浪花節の題材にもなっている。

日本人には、非現実 (考え) の内容がない。だから、考えの文章内容から矛盾を取り除くことができない。その結果、思索の結果は哲学にはならずして、支離滅裂な空想・妄想になる。だから、日本人は、真面目人間にはなれない。座談会の面々のようになる。お陰様でわが国は、漫画・アニメの大国になった。

 

>ただ、それは「希望がある」という意味ではなく、「日本人は悲観的になると思考停止に陥る」という哀しい経験則を確認したに過ぎない。

 

そうですね。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には、意思がない。無為無策でいる。仕方がないから、座して死を待つ。

意思 (will) は未来時制の文章内容である。日本語の文法には、時制 (tense) というものがないので、日本語の脳裏には、未来時制もない。だから、日本人には意思がない。それで、優柔不断・意志薄弱に見える。こうした日本人の困難を克服するために、戦時中には精神主義が唱えられた。武芸の鍛練をとおして機敏な動作のできる人間を育成することはできたが、いかんせん、日本人にリーズン (理性・理由・適当) を持たせることはできなかった。だから、日本人には、リーズナブルな答えを期待することはできない。

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)

 

>わが国では「さまざまな危機的事態を想定して、それぞれについて最適な対処法を考える」という構えそのものが「悲観的なふるまい」とみなされて禁圧されるのである。

 

そうですね。‘縁起でもないことを言ったりしてはならない’ のですね。それは、気分・雰囲気が悪くなるからです。

 山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘している。

「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いている。

 

> 近年、東芝や神戸製鋼など日本のリーディングカンパニーで不祥事が相次いだが、これらの企業でも「こんなことを続けていると、いずれ大変なことになる」ということを訴えた人々はいたはずである。>でも、経営者たちはその「悲観的な見通し」に耳を貸さなかった。>たしかにいつかはばれて、倒産を含む破局的な帰結を迎えるだろう。>だが、「大変なこと」を想像するととりあえず今日の仕事が手につかなくなる。>だから、「悲観的なこと」について考えるのを先送りしたのである。

(略)

>黙って破局の到来を待っている。

 

座して死を待つばかりですね。一億総玉砕のようなものですね。

 

> 寄稿は以上。

>しかし、これは人口減に限らず、今日本で起きていることのすべてに適用できそうな話である。

 

そうですね。日本人のメンタリティに起因した現象ですからね。

 

>公文書改竄事件でも、省庁の各所に「こんなことを続けていたら、いずれ大変なことになる」ということを訴えた人はいたはずである。>でも、要路にある人々は耳を貸さなかった。

 

要路にある人々は、自己利益に囚われた小人ばかりでしたね。わが国には、なぜそれほど小人が多いのか。それは、世界観 (world view)を持っていないからでしょう。処世術 (how to get on in the world) ばかりの人間が、小人ばかりの国を作り上げている。

世界観は、時制 (tense) のある文章内容で表現される。世界観は、非現実 (考え) の内容で、それぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) 分かれて存在する。各世界の内容は、個人により限りなく展開が可能である。初めは、各人共に内容のない白紙の状態であるから、各人が成長過程で自分なりに内容を容れている。この世界観の内容を個人の基準にとって現実の内容を批判すれば、個人が批判精神を示したことになる。英文法には、時制というものがあるので、英米人には世界観がある。そして、批判精神もある。だが、日本語には時制がないので、日本人には、批判精神がない。処世術オンリーになっていて時流に流されるのもやむを得ない状況にある。

 

>彼らには耳を貸さない代償に個人的な栄達が約束されていたからである。

 

それ以外に、進むべき方向は無いでしょうね。批判精神を示す道は、残念ながら日本人には閉ざされています。

 

>組織の長期的な信頼性や安定よりも、わが身たいせつを優先させる人々たちが選択的に出世できる仕組みを作り上げたこと、それが安倍政権5年間の際立った「成果」である。

 

立身出世の物語は、今に始まったことではない。昔の話にも出て来るテーマである。だが、今の日本人には、これしかない。ナウな感じのする現象である。

 

>それで日本社会がどれほど損なわれたのか、被害の規模と深さを思うと気が遠くなりそうである。 

 

驚いている場合ではない。正しい道を考えるときに来ています。

我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを十分に理解すべきです。さすれば、英語を使って、自己の意思と世界観を表現可能なものにすることができます。一旦、文章ができれば、その内容は、脳裏にとどめおくことが可能になります。だから、世界観を持たずに、つかみどころのない人間にとどまることもありません。意思がなくて、優柔不断・意志薄弱な人間でもなくなります。

英米人は、日本語を話すときでも日本語の欠陥による閉塞感に囚われることがありません。日本語以外にも考え方があるからです。我々日本人も、二刀流の構えで行きましょう。

 

 

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閲覧数627 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/07/30 06:09
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