>358356 現代日本のマスコミ論――マスコミの「常識」はなぜ形成されたのか? >匿名希望 20/07/12 AM01 >以下リンクより > 講演の際、質問されるテーマは時によって大きく変わります。 >ところが時期を問わず、いつでも必ず出る質問があります。 >「マスコミはどうしてこんなに悪いのですか?」という類の質問です。
罪のないマスコミは、悪夢のマスコミでもありますね。
>背後には、今のマスコミが世論を誘導して悪い方向にもっていこうとしているのではないかという、根深いマスコミ不信があります。
マスコミの編集者は、何を考えているかわからないからでしょう。彼らは、無哲学・能天気ですからね。
> (中略) >しかし、マスコミに世論の形成や指導の意図があることは事実ですし、大きな力を発揮していることは否定しようもありません。
マスコミは、ご唱和の世界を目指していますね。
>とくにマスコミが足並みをそろえたとき、その効果は抜群です。
それは、太平洋戦争の始まりか。
> では、マスコミはなぜ、しばしば論調が同一方向に 収斂 するのでしょうか。>それはマスコミの執行部や論説委員らが、保守支配層の「常識」を共有しているからです。
思考停止の状態にある人間には、ぜひとも常識が必要ですからね。彼らは、凡庸である事に恥は無い。
> この「常識」は、保守支配層内のさまざまなアクター、アメリカ政府、財界人、官僚、有力保守論客などの言説、そして彼らへの取材を通じて得た情報を元に形成されます。
伝統的な ‘世の中は、、、、’ の発想ですね。
>問題は、近年メディアの違いを超えて、強固な「常識」が形成され、メディア報道の同一化が進行していることです。
ご唱和の時代ですね。
> 強固な「常識」とは、日米同盟の強化と構造改革の2つが必要だという「常識」です。
‘〇〇の一つ覚え’ ですね。
>冷戦終焉により、世界は自由な市場で統一され、中国の市場開放をはじめグローバル企業には大きなビジネスチャンスが到来したが、進出先の市場秩序維持のためには世界の警察官としての軍事力が必要となった。 >日本も世界の秩序維持のために貢献すべきであり、そのためには日米同盟は強化されねばならない。 >米軍の世界的プレゼンスを擁護し、協力することこそ国益にかなうという「常識」です。
アメリカは、日本の ‘あんにい’ (兄貴) ですからね。 日本人の ‘思考停止’ と ‘後追い’ は表裏一体ですね。
> 構造改革推進についても強固な合意が存在しています。
それは、信心のようなものか。
>それは、大企業の世界競争激化のもと、日本企業の競争力を強化するための構造改革は不可避だ。 >もちろん改革の痛みは緩和しなければならないが、それも改革の遂行、経済成長により克服すべきであり、痛みの緩和のために利益誘導や福祉支出に走り、大企業負担を増加する財政肥大を招くようなことがあってはならないという「常識」です。
わが国は、戦友を見捨てて前に進む兵士のようなものですね。
> (中略) >では、どうしたらいいのでしょうか。>メディアを支配している「常識」を揺るがすしかありません。 >その力は2つ。 >常識を疑う市民の声と、マスコミ現場の手足である報道記者たちの頑張りです。
市民も記者も ‘考える人’ (the thinking man) である必要がありますね。
> 2008年に放映されたNHKの「ワーキングプア」を覚えていらっしゃるでしょう。 >3度放映され、構造改革でしか繁栄はないという「常識」を打ち破りました。 >そして、NTV系の「ネットカフェ難民」報道も後を継ぎました。>市民の運動の 昂揚 は、「年越し派遣村」で、大衆運動は報道しないという「常識」を打ち破り、全国ネットで貧困が市民に届けられたのです。
大衆運動は民主主義の基礎ですね。BLM (Black Lives Matter : 黒人差別撤廃) のようなものか。
>これが、マスコミの構造改革常識をしばし沈黙させ、政権交代をもたらす大きな要因になったことは明らかです。
大衆運動の指導者には、確たる政治哲学の持ち主が必要ですね。それは、グレタ (Greta Emman Thunberg) さんのような人か。
> 市民の声は、こうした番組の続出を励ましました。 >この声に支えられて、現場は上層部の常識に挑戦し、風穴を開けられたからです。
各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.
>マスコミは決して一枚岩ではありませんし、世論に敏感に反応せざるを得ません。
マスコミは ‘後追い’ の性格を発揮するのか。
>いま、再び強力な常識バネが働いていますが、運動を背にした市民の声と現場、この2つの力が合流することで、この壁を打ち破り、構造改革でない道をメディアに登場させる可能性が拓けます。
大衆運動には有能な指導者が必要ですね。そうでなければ運動は、頭のない ‘のたうつウナギ’ のようなものになる。
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