2021年01月19日(火) 

 

 

>363738          地球全体を居場所と思えるように。 >原てふ子  21/01/19 AM00 【印刷用へ】

>リンクより

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>小山龍介氏の心に響く言葉より…

>よく、さきにTakeを考えるのではなく、GiveしたあとにTakeする「Give&Take」という話がありますが、これは贈与の原則を語っているものです。 >そしてこれは長期的な人生の投資も同様なのです。 >こうした贈与を、昔は自分の所属している企業に対して行っていました。

 

序列社会の仕来りのようなものですね。   

 

>人生の時間をGiveすることによって終身雇用というTakeがある。

 

The principle of give-and-take (互譲の精神) ですね。 

 

>その関係が成り立っているときにはよかったのですが、あのトヨタ自動車でさえ終身雇用制度の維持は難しいと言っているときに、Giveの対象は所属企業だけでよいとは言えなくなってきました。

 

そうですね。    

 

>そんな時代においては、新しい領域へのGiveをスタートすることが重要です。>これは早ければ早いほどいい。 

 

そうですね。   

 

>それだけ時間というリソースを長い間、投資できるからです。

 

年功序列による効果ですね。   

 

>在宅勤務を始めたみなさんは、どんな新領域にgiveしていきますか? >場の研究所の清水博先生は長年、場を研究されていく中で、その根本原理に与贈循環があると指摘されています。 >与贈というのは、贈与をひっくり返した言葉で、贈与の中でも匿名での見返りを求めないものを言います。 >この与贈が自分のいる《場》に対して行われると、その《場》が豊かになっていきます。 >《場》が豊かになっていくと今度は、その《場》から自分へと与贈が居場所というかたちで返ってきます。 >循環が起こっているのです。 >たとえば、家族のためにケーキを買って帰るとします。 >そうすると家族との関係もよくなり、家庭という《場》が豊かになります。 >そうすると、自分の居場所もできる。 >与贈は居場所づくりの方法なのです。 

 

そうですね。   

 

>在宅勤務になると、実はこの居場所づくりを意識的にやる必要が出てきます。 

 

そうですね。   

 

>これまでは会社という、自動的に与えられた居場所がありました。 

 

社畜・家畜の生活態度で充分でしたね。  

 

>しかし、物理的にその場所から離れたときに、人は会社に居場所があるという実感を失います。>そのことが、やがてメンタルにも響いてくるのです。  

 

日本人には現実だけがあります。そして、実感だけが頼りです。  

非現実 (考え) の内容は現実離れがした話なので、信じることが難しいです。だから、日本人は、無哲学・能天気になっています。   

 

>今まで意識してこなかった、居場所を作るための取り組みが必要になるのです。>その居場所は、会社の中にとどまりません。>むしろ、会社という小さな枠組みにとらわれることなく、最終的には地球全体が私の居場所と思えるくらいのスケールで、世界と向き合うことも可能です。 

 

そうですね。大きな考えが役立つ時が来ましたね。 

ちなみに、茂木敏充外務大臣の大きな考えは 『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』といった具合いになっています。 

 

>そういう視野で活躍する人は、ものすごく大胆なプロジェクトを成し遂げていくでしょう。

 

それは世界観を持っている人だからでしょうね。来るべき未来社会の建設に着手することですね。      

 

>在宅勤務は、会社という小さな居場所を失う働き方です。 >しかしそのことによって、世界という大きな居場所を獲得する機会を与えてくれる働き方でもあるのです。 

 

発想の転換を余儀なくさせられる時ですね。島国根性を改める時ですね。

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

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させ

 

 

 

 


閲覧数360 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/01/19 15:52
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