2021年01月23日(土) 

 

 

>【鴻上さんの答え】

>ジャスミンさん。>息子さんの大学が恥ずかしいですか。>近所の人と会いたくないですか。>息子さんが無名の大学に入って近所の人に言えないのなら、ジャスミンさんが頑張って、有名な大学に入るのはどうですか? > 冗談ではないですよ。 

 

そうですね。我々には一生が勉強ですからね。   

 

>世界では、社会人になってもう一度大学に入るのはよくあることです。>日本でも少しずつ社会人の学生が増えてきました。 

 

そうですね。各人に哲学は必要ですね。 Everyone needs a philosophy.   

 

>息子さんの大学が自慢できないのなら、代わりに自分が有名大学に入って、近所の人達に自慢することは、僕にはとても自然なことだと感じるのですが。 

 

そうですね。隗 (かい) より始めよ。  

 

> ジャスミンさんの言うように、学歴は依然として「大切な評価軸なのが現実」だと僕も思います。 

 

そうですね。アメリカなどは学歴社会ですね。学士として教師などに採用されても一定期間内 (ニューヨーク州では5年以内、オレゴン州では10年以内) に修士の称号が得られなければ、それ以上教師を続けることはできません。ですから、せっかく社会に出てもさらなる教養の深さは公的に求められています。   

 

> 問題は「なんの評価軸か?」ということです。  

 

そうですね。教養 (哲学) の評価軸ですね。わが国のような無哲学・能天気の人民の住む国では、有名無実の評価軸ですね。   

 

> ジャスミンさんが考える「評価軸」は、「世間の評判」とか「近所に自慢できるかどうか」ということでしょうか? 

 

そうでしょうね。世俗的な評価軸でしょうね。    

 

> ジャスミンさんの相談からは、例えば「息子は○○会社を志望している。>けれど、この会社の採用する学生の出身大学はあきらかに△△大学以上のレベルに集中している。>このままだと、息子は自分の希望がかなわない。>どうしたらいいでしょう?」というような、息子さんの幸せを問題にしている感じがしないのです。 > または、「息子は○○を専攻したいのに、入学した大学の学部では教授を含めて、じつに不十分な体制でしかない。 >どうしたらいいですか?」という、息子さんの要望を問題にしている相談にも思えません。 > または、「無名の大学に入った息子は、手に職をつけて○○になりたいと言っている。 >○○という職業は学歴は問題ないんでしょうか?」という、息子さんの希望を問題にしている相談にも思えません。 

 

そうですね。ジャスミンさん自分自身の劣等感ですね。息子さんの悩みではないですね。   

 

> ジャスミンさんが問題にしているのは、とにかく近所の評判のように思えます。

 

見栄と外聞に関する悩み事ですね。昔からの悩み事ですね。     

 

(略)

>~続き~

>「人は学歴じゃない」という言い方をジャスミンさんは道徳とか慰め、建前だと感じているのでしょう。 

 

学歴は大切ですね。教養があれば、自己に関する見栄と外聞に翻弄されることは無くなりますね。   

 

> けれど、ビジネスの現場では、「東大を出ているのに使えない」とか「早稲田のくせに」「慶応なのが信じられない」なんて言い方と共に「人は学歴じゃない」と言われたりします。  

 

大学は実業学校 (職業学校) ではありませんからね。ビジネスの現場では役立ちませんね。大学教育は、教養 (哲学)  が主目的ですからね。      

非現実 (考え) の内容は、英語の ‘時制のある文章’ により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見の内容は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。       

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。      

 

 

 

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閲覧数268 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/01/23 00:36
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