>逆境の時、あなたの真価が問われる >2021.3.29 >■君は皆のために、何をしたのか? >多くのプロジェクトを手掛ける設計室、時に大きなトラブルに直面することもあります。 >あるトラブルに対して、率先して動いたのは、ベテランのKさん。 >Kさんはすぐさま、250枚以上ある設計図のすべて、一つ一つの線、寸法、文字に至るまで徹底的に確認しました。 >「図面ごとに食い違いはないか?これで本当に工事ができるか?」 >数十年の経験と技術が凝縮されたチェック。 >それらの丹念に消し込みチェックされた図面は、社内全体の蓄積となるように公開されました。
すごいですね。会社の宝ですね。
>私はその鬼気迫る背中を見て「すごいな」「大事だな」というレベルで認識していましたが・・・。 >その時、Kさんから出てきた言葉は >「それで、君は皆のために、何をしたのか?」 >「一人一人が少しでも何かを変えようと行動したか? >それが類設計室の将来を決めるのだ」
努力・努力・まさに努力の蓄積ですね。感心しますね。
>私は、先輩が答えを出してくれるとどこかで甘えていました。
それは他力本願・神頼みでしょう。
>トラブルを身を挺して挽回するのみならず、とことん追求して、組織の糧とする。 >これは全員の課題。
まさに一億一心の精神ですね。
>その為に今必要なのは現実を変える行動、その一点。
そうですね。しかし、現実を変えるのは我々日本人には難しいでしようね。 日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。 意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく) '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり' 上杉鷹山 (うえすぎ ようざん) 日本人には意思がない。受動ばかりで能動がなくては全ての事は始まりませんね。
>■全員が自らの課題として追求する。 >その後、月1回行われる全員参加の経営会議の場で、若手15名が声を上げました。 >・「Kさんのモノづくりにかける本気の想いに自身が迫れるか。>私はKさんを真似して図面の徹底チェックをしている。」 >・「【やったつもり】【調整した気がする】といった曖昧さを廃する。 >社内ネットに1カ月で180投稿、言葉で固定する可能性を感じる。 >私はこれをプロジェクト推進のエンジンとしていきたい。」 >・「社内も社外も喜んでほしい想いが一番。 >そのために、自らの追求成果を全て開いていく。」 >それらの発信はどれも「この逆境を変えるために行動した中身」でした。
活発な意見発表ですね。
>普通の会社では、トラブルの責任追及に終始するかもしれません。
日本人には意思がない。意思の無い人間に責任がない。罪もない。ですから、事柄の意味が曖昧になります。わが国の敗戦のようなものでしょう。 肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。 徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)
>しかし、共同体では、全員が自らの課題として、集団の仁義信として追求する。>それが逆境を突破する原動力となることを実感しました。
日本人は序列人間です。序列人間は序列の中にあって、義理 (序列関係から生まれる義務) を果たす。それが日本人の生き甲斐でしょう。’義理が廃ればこの世は闇だ’ と考えられています。
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