>ダイヤモンド・オンライン >元外交官が語る、見落とされがちな“中華民族”2つの特徴 > 山中俊之 2022/02/13 06:00 (略) >「人種・民族に関する問題は根深い…」。 >コロナ禍で起こった人種差別反対デモを見てそう感じた人が多かっただろう。 >差別や戦争、政治、経済など、実は世界で起こっている問題の”根っこ”には民族問題があることが多い。 >芸術や文化にも”民族”を扱ったものは非常に多く、もはやビジネスパーソンの必須教養と言ってもいいだろう。
そうですね。
>本連載では、世界96カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』(ダイヤモンド社)の内容から、多様性・SDGs時代の世界の常識をお伝えしていく。 >中華民族は、世界一気前がいい? > ビジネスパーソン向けの研修の際、中国についてしばしば質問を受けますが、国際関係という視点で私が見たところ、ある意味中国ほど気前のいい国はありません。 >もちろん自国の国益のために、お金をばらまくという意味であり、見返りを求めてのものですが。
中国人は体面を重んじますね。他人の動向を何時も気にしている。自己の体面を保つためなら少々無理しても金を出しますね。
> たとえば、新型コロナウイルスのワクチン。>効果には疑義もあるようですが、アフリカなど新興国に無償または低価格で供給しています。 >そこには当然、国連総会など国際社会のさまざまな場で中国に対する支持を集めたいという狙いがあります。
中国人の国際社会での対面は特に重要ですね。
> 歴史上の話では、遣唐使に対して「貢ぎ物の何倍ものお返しがあった」と記録されています。 >日本や朝鮮からの使者に対して、どの王朝でも盛大かつ手厚くもてなしたようです。
見栄を切るのが彼らの趣味ですからね。これは皇帝に限らず一般庶民に至るまでこの傾向は見られますね。
> 私がこの話をすると、「気前がいいと言っても、ちゃっかり日本からODAをもらっていましたよね」という意見も出ます。 >しかしそれは日本側の見解で、中国側に立てば、自分たちが日中戦争や第二次世界大戦の際の賠償を放棄したことへの「ささやかな代償」と考えているはずです。 >「日本人に多数の国民が殺されて酷い目にあい、本来なら日本が壊れるくらいの賠償を請求できた。 >それを放棄して我慢してあげたんだから、ODAくらいはもらっていいはず」
人に親切にしたことはいつまでも忘れない。しかし、自分が親切にされたことはすぐに忘れる。何処の国でも人情は同じですね。
> 確かに、もしも中国に巨額の賠償金を支払っていたら、日本の国家財政は逼迫し、70年代から80年代の高度経済成長は厳しいものがあったでしょう。 > 今の日本が大きく変わっていた可能性があるのですから、中国に関してはODAを見ると同時に、賠償金を放棄したという寛容さにも意識を向けたほうがいいでしょう。
そうですね。
> 現在、中国の気前の良さは、発展途上国に向けられており、特にアフリカ諸国には大量の中華マネーが流れ込んでいます。 >「借金漬けにして支配しようとしている」との非難や反発もありますが、発展途上国のなかには評価する声もあり、現実として中国の影響力は、東アジアを超えて世界に広がりつつあります。
そうですね。
>プラクティカルな思考の要因は儒教 > また、中国人の特徴として、プラクティカルな実利主義ということが挙げられるでしょう。
そうですね。判断に重みがない。
>先述した気前の良さも、プライドを満たすという点を含めた見返りという実利を求めているためです。
中国人は実学 (技術)、実利ですね。’実’ と言うのは、現実のことです。
> インド人が、どちらかというと哲学的な思考を得意とするのに対して、中国人は実際に役立つことを重視します。
インド人はインド哲学を持っていて、前世・現世・来世の内容を個人的に懸命に思索しますね。三世界の内容は考え (非現実) ですから瞑想が必要になります。中国人には世界観 (非現実) が無いので、現実 (事実) の内容だけを話しますね。
>古代の諸子百家や明の時代の陽明学など世界の思想史に大きな影響を与える思想家は出ていますが、中国的には例外のような存在。 >そもそも近代になって、西洋と接するまで哲学という漢語すらありませんでした。
日本人や中国人や韓国人には哲学はありませんね。見える内容は本当の事。見えない内容は嘘である。考え (非現実) は見えないから嘘である。だから、哲学者は存在しない。
> 私はそのプラクティカルな思考の要因はなんであるかずっと考えてきました。
特亜三国 (日本・中国・韓国) の言語には時制というものがないから、非現実な (考えの) 内容を文にすることはできませんね。ですから、現実の内容だけになります。
>そして、行きついた仮説は、儒教。>儒教では死後のことをあまり扱わず、現実の世のなかにおいていかに身を処するべきかが論じられます。
そうですね。儒教の教えには世界観がありませんね。前世・現世・来世の内容を並べて細かく思索することが無い。だから、特亜三国人は処世術 (損得勘定) を中心とした考えが発達していますね。
> もちろんそのなかには、他人への思いやり(仁)といった概念の重要性なども論じられているので、決して「実利=自分勝手」ではありません。 >しかし、キリスト教やイスラム教が死後に待ち受ける最後の審判が教義の根本にあることと比較すると、儒教は現世の実利や成功に重点が置かれているといえるでしょう。
そうですね。特亜三国の人は実利・実学 (技術) に重点を置いていますね。
> 長きにわたって官吏登用のための試験であった科挙の存在も、優秀な人を中国各地から採用するという意味では、実利的です。
そうですね。特亜三国の人は実利を受け入れますね。
>あまりに難しく、また合格しても激しい出世競争がありました。
官吏の世界は難関出身者が幅を利かせる世の中であったようですね。
> 試験や出世競争から落第したゆえに詩人として成功した人も各地にいます。 >たとえば、唐の時代の白居易は、科挙に合格するものの、出世は十分に果たすことができず、不遇の時代の頃や退官後に多くの詩を残しました。 > 同じく唐の時代の杜甫は科挙に何度も落第しました。 >40歳をすぎてなんとか官吏になったものの政争に巻き込まれ、苦境のなかでたくさんの詩を書きました。
‘禍を転じて福となす’ ということですかね。
>世界に冠たる文学作品である漢詩は、実利的な科挙の副産物であったのかもしれません。
そうですね。漢詩は実利の社会の副産物ですね。
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