2022年07月20日(水) 

 

 

>大学入試不正の背景にある学歴至上主義…Z世代が激しく議論   > TOKYO MX+ 2022/07/18 06:50  

 (略)

>◆大学入試のカンニングは当事者だけの問題ではない!?  >一橋大学の留学生を対象とした入試で不正が行われた疑いがあり、偽計業務妨害容疑で2人が逮捕されました。  >これは今年1月の入試の際、受験者の中国人男性が問題を動画撮影し、SNSで外部に送信。  >これを受けた男の元家庭教師が「宿題を手伝って」とSNSで依頼し、解答を入手。 >受験者は装着していたワイヤレスイヤホンでその解答を受け取り、入試に合格していました。

 

その受験者は入学試験を技術の問題と捉えたのですね。    

 

>このニュースに、日本大学文理学部 助教の大澤正彦さんは「入試はみんなの人生が懸かっていて、みんなの思いが詰まっている場所。 >一番ズルをしてほしくない場所」と憤りを露わに。 >大学入試の不正を巡っては、今年1月の共通テストでも19歳の女性がスマホを使って解答を得たとして、偽計業務妨害の疑いで書類送検されています。  

 

大学は学問をする所。それ以外の事柄で騒いでいるのはわが国の大学の恥ですね。    

 

>相次ぐ不正に、臨床心理士のみたらし加奈さんは学歴至上主義の風潮を指摘しつつ、「これは本当に子どもたちの問題なのか。 >もっと構造的な、社会など大きいところの問題ではないか、みなさんと議論したい」と課題を提起します。  

 

そうですね。序列社会の構造に起因した問題ですね。    

 

>一方、NPO法人「あなたのいばしょ」理事長の大空幸星さんは「この問題を論ずる際、子どもたちに学歴以外の価値の大切さを教えよう、知ってもらおうと語る大人が多いが、たぶんそうではない」と否定し、「学歴偏重主義は、大人の気持ちと仕組みの問題」と主張します。 >現実問題として、基本的には大卒のほうが給料が高く、生涯年収も高い学歴至上主義社会が蔓延るなかで、今の子どもにだけ「それはやめよう・もっと違う価値観がある」というのは筋違いと大空さん。   

>「学歴・偏差値だけを重視する教育の仕組みをまずは変えないといけないし、そのなかにいる評価者たる大人たちの考え方が変わらないといけない」と指摘し、「当然カンニングをすることは悪いが、全体的な問題として責任は子どもにはないと思う」と持論を述べます。   

 

そうですね。この問題に関する子供の責任はないですね。    

 

(略)

>◆子どもを変えるのではなく、大人たちが変わるべきか?   >河合塾によると、大学志願者数は1992年度には約92万人いましたが、少子化も影響し、年々減少。  >2021年度は約65.8万人となるなか、入学定員数は増加傾向に。  >そのため、現在は希望者全員が入学できる「全入時代」に突入。  >大阪大学の吉川教授は「少しでも高偏差値の大学に入れば、より多くの幸せを手に入れられる大卒学歴至上主義の風潮が続いている」とし、親や学校に対し「受験の勝ち負けで全ては決まらないという声掛けが必要」と指摘しています。  >大澤さんも「大卒学歴至上主義 断固反対」と声を大にします。   

 

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。   

 

>さらに偏差値が高いことは素晴らしいが既存のわかりやすい価値軸だけで人を測るべきではない」、「偏差値で優劣が決まるわけではないと認識すべきだし、一人ひとりにいろいろな素晴らしい軸がある。 >そこを育てるようにならないといけない」とも。   

 

そうですね。各人に哲学が必要ですね。   

 

>大澤さん自身、この問題に対処すべく大学の先生になったと思いを語り、「僕は日本大学に行きたいと思ったからそれ以外の大学は受けずに日大に入った。  >偏差値が高いと認識されている学校を目指すのではなく、世間がいろいろな価値軸があることを認め、世の中に役に立つエコシステムを作らないと発展していかない」と今後を案じます。   

 

偏差値は同次元序列の争いですね。没個性の争いはやめましょう。個人の個性を伸ばしましょう。       

 

>吉川教授、そして大澤さんの意見に対し、大空さんは「ベクトルが子どもたちに向いているのがおかしい」と持論をぶつけ、「声掛けしなければいけないと言うが、大学の先生に言われても説得力はない。   

>上の立場から言われている感じがする」と異論を唱えます。   

 

教育関係者の責任逃れのような観がありますね。  

 

>学歴至上主義反対には同意するものの、「それを変えるのは大人たちであり、子どもたちに偏差値ばかり追い求めてはいけない、大学行くのが全てじゃないと、大人から子どもに言うのは違う」と大空さん。   

 

そうですね。子供には責任がないですね。    

 

>大澤さんとしては「大人たちも変わってほしい」という思いがあり、さらに言えば大学や学生も含め、社会全体の変化を希望。 >そのためにムーブメントを作るべく活動していると説明。

 

日本人は考える人になる必要がありますね。    

 

>また、「大学が大事なのではなく、偏差値にとらわれているのが良くない。  >大学がこの価値軸を学びましょう、これが正解だとトップダウンになるのが良くない」と改めて主張するも、大空さんは「大卒の人に大卒の学歴はいらないと言われても説得力がないと思ってしまう」と言い、見解の相違は続きます。  >大空さんは「学歴至上主義反対も大学に行っていない人が言うなら説得力がある。   

 

日本人の言う学歴も真の学歴ではないでしょうね。高等教育は人間が大人になる為の修行ですからね。自己の哲学を形成するための過程ですからね。無くて良いものではないでしょう。     

 

>高等教育を受け、学歴がある教育者のような人が『学歴は大事ではない』と言うのは納得がいかない」と言い、「そういう人たちが子どもではなく、親や学校を含め自分たちの横にいる人たちのために変えていこうと努力することで、子どももそうした価値観になっていくと思う」と話していました。   

 

現実 (事実) は見ればわかる。Seeing is believing. 現実の正解は一つしかない。問答無用である。だから、ご唱和の内容になる。

非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文になる。文にならないものは考えではない。

矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っている。だから、正解は無数にある。考えの優劣を競い合う議論も可能になる。

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

 

体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  思考を停止して人は、つかみどころのない人間になる。日本人には自己の考え (非現実) がない。だから、わが国のインテリは受け売り専門の人になる。     

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

 

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

 

大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。       

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。   

 

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)    

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)。(引用終り)

 

我が国には人手不足の話はあるが、頭脳不足の話はない。わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。バラバラな単語ばかりの歌詞には意味がない。 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。

 

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。プラトンの対話篇から、例として『クリトン』をあげてみよう。この対話は、明日の死刑執行を前にして、夜明けに、獄中のソクラテスをクリトンがたずねて、脱獄をすすめるところからはじまる。もちろんソクラテスは寝ている。だがどう読んでみても、ソクラテスが起き上がって、威儀を正して、法の遵守を説いて、クリトンに反論したとは思えない。ソクラテスは、おそらく最後まで寝っころがったままで話しているのだ。従って、この場合、純粋に、ソクラテスの言った言葉 (ロゴス) だけが問題なので、彼の態度や語調は全く問題にされないのである。日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)     

 

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

 

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)    

 

>※この番組の記事一覧を見る   ><番組概要>   >番組名:堀潤モーニングFLAG   >放送日時:毎週月~金曜 7:00~8:00 「エムキャス」でも同時配信   >キャスター:堀潤(ジャーナリスト)、田中陽南(TOKYO MX)   >番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/morning_flag/   >番組Twitter:@morning_flag  

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。          

 

 

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閲覧数317 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/07/20 14:49
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