>現代ビジネス >大正時代、中学校英語科廃止論が盛り上がる「日本帝国の青年としては英語は無用」 > 江利川 春雄 2022/09/12 06:00 (略) >大正時代には、日本は欧米列強に並ぶ帝国となって、一等国入りを果たしたと驕るようになる。 >そうなると、英語(米語)など学ぶのは時間の無駄だという議論が出てくる。 >「英吉利(イギリス)か亜米利加(アメリカ)の殖民地の青年ならイザ知らず、日本帝国の青年としては無用な事だと考える」。
アングロサクソン国家 (英・米・加・豪・NZ) の各国は、皆それぞれにうまくやっているようですね。これらの国々は移民が押し掛ける国であるところを見ると、外国人も高く評価する政治内容でしょうね。わが国も彼らの考え方を取り入れるに越したことはないでしょう。わが国に英語を導入することは日本語による思考の弊害を緩和することにもなるでしょう。 『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
>英語重視の原因は「英国崇拝の弊にある」。 >海軍少佐も、「米国語の濫用を慎み、国語の擁護を計らなければならない」とまで発言した時代があったのだ。
日本人が、‘国語・国語’ とあまり大きな声で言っても始まりませんね。日本語は写生画の言葉であり、現実を写すことは得意であるが、非現実は表さない。事実は現実の中にあるが、考えの内容は非現実で見ることができない。だから、言い表すこともできない。日本人には考えが無い。 日本人は思考を停止している。だから、無哲学・能天気になっている。政治には政治哲学が必要であるが、日本人はノンポリ・政治音痴になっているので国の先行きの見通しは立っていない。 政治には現実の対策も必要であるが、非現実 (未来) の内容を発展させることも必要である。人の受け売りとその後追いばかりでは、国民の生活はその日暮らしになる。そうして、国政は時流に流される。 わが国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。そして今、国力は下降線をたどっている。
>(※本稿は江利川春雄『英語教育論争史』を一部再編集の上、紹介しています) (略) >遠藤吉三郎の英語科廃止論 >大正期の中学校英語科廃止論としては、大岡育造(一八五六~一九二八)が一九一六(大正五)年一〇月五日の『教育時論』に寄稿した「教育の独立(中学校より必修外国語科を除却すべし)」を最初だとする研究が一般的である(高梨・大村一九七五、川澄一九七八、出来一九八二、伊村二〇〇三など)。 >これらは櫻井役の『日本英語教育史稿』(一九三六)の記述を踏襲したからであろう。 >しかし、実は大岡の一年半前に生物学者・理学博士の遠藤吉三郎(一八七四~一九二一)が、中学校と高等女学校の英語科廃止論を展開していた。 >その論文が「中等教育の英語科の能率」(『大日本』一九一五(大正四)年五月号、六四~七一頁)で、遠藤の『西洋中毒』(一九一六)に再録された。 (略) >カリキュラムのほぼ4分の1が英語に割かれるのは いかがなものか >遠藤は東京帝国大学大学院を修了後、一九〇七年に札幌農学校(現・北海道大学)水産学科の初代教授に就任。 >一九一一年にはヨーロッパに留学し、帰国後に『西洋中毒』で痛烈な西洋批判を展開した。 >一九一八年の北海道帝国大学設立にともない、同学水産専門部教授となった。 >遠藤の主張を聞く前に、その前提となる当時の中学校における外国語の比重を見ておこう。 >週二九~三一時間の総時数に対して、外国語(実質は英語)は必修科目としてほぼ週七時間も課されており、カリキュラム全体の二三%を占めていた。 >遠藤はこれを問題視したのである。
我が国において英語の教育効果が上がらないのは問題ですね。
>「日本帝国の青年としては無用」 >遠藤の主張は以下の五点に要約できる。 >(1)中学校や高等女学校の英語科は多大な時間と労力をかける割には効果が少なく、能率が悪いので、廃止すべきである。
低能率は、英語を知らぬ同士が教え合っているからではないでしょうか。
>「英吉利(イギリス)か亜米利加(アメリカ)の殖民地の青年ならイザ知らず、日本帝国の青年としては無用な事だと考える」。
英語を知らない人は国際社会の孤児になりますね。
>英語重視の原因は「英国崇拝の弊にある」。
英国人は知的ですからね。日本人の英国崇拝には無理もない。
>(2)日本は「西洋の学術技芸を模倣せんが為めに、久しい間青年の時間と脳力とを犠牲に供した。
猿真似は特亜三国人 (日本人・中国人・韓国人) の得意芸ですからね。猿真似はある意味で能率の良い学習法ですね。芸は身を助けます。
>これ以上は最早(もはや)必要がない」「今は丁度その切上げ時で、更に転じて海外に膨脹する為めの予備教育に全力を注ぐべきである」。
それは日本人の慢心でしょう。’井の中の蛙 大海を知らず’ ですね。
>(3)知識増進のために「翻訳機関の設置」を行い、文部省は優良なる専門書の翻訳に力を注ぐ。
そうですね。翻訳は電算機で可能でしょうね。
>そのほうが専門用語の訳語が統一され「学問の独立」に寄与する。
考えは各自その内容が違いますからね。専門用語には新単語多いですね。日進月歩ですね。
>実業専門学校の授業も日本語で可能である。
実業 (取引)・実学 (技術) の授業は現実の内容であり、日本語でも可能でしょうね。しかし、哲学・宗教の授業は非現実 (考え) の内容であり、日本語の表現形式では無理でしょうね。
>(4)英語科の代わりに支那語(中国語)を課せばよい。
中国語は中国以外の何処の国でも通用しませんね。外人は漢文を読みませんからね。中国語の話者はますます孤立しますね。
>(5)「中学の英語科を全廃したならば、五年は四年となる。即ち修業年限に於て二割の短縮が出来る」。 >帝国主義への傾斜があった時代 >遠藤がこうした中学校・高等女学校の英語科廃止論を展開した一九一六年は第一次世界大戦のまっただ中であり、戦勝国となる日本はドイツ領だった南洋諸島を事実上の植民地として獲得する。 >(2)で述べているように、大正初期の日本は「西洋の学術技芸を模倣」する段階からの「切上げ時」であり、「転じて海外に膨脹する為めの予備教育に全力を注ぐべきである」とする帝国主義的な政策に傾斜していったのである。
我が国の国際社会に対する影響力は大英帝国の影響力とは質的な違いがありますね。わが国の自信は無哲学・能天気の上に成り立つ自信で、空想・妄想ですね。お陰様でわが国は漫画・アニメの大国になりましたね。
>ナショナリズムが色濃い遠藤の主張は、(3)の国家による「翻訳機関の設置」も含めて、その後の大岡育造(一九一六)や藤村作(一九二七)などの英語科廃止論者に引き継がれ、繰り返されていく。 >実業専門学校の教育は日本語で! >遠藤の(3)「学問の独立」論に先行する考えとしては、明治期の「学問の独立」論がある。 >洋学者・政治家で神田乃武の養父である神田孝平(たかひら)(一八三〇~九八)は「邦語を以て教授する大学校を設置すべき説」(『東京学士会院雑誌』一八七九(明治一二)年八月)で、外国語で授業を行っていては時間がかかりすぎるから、日本語で教授する大学を設置すべきだと主張した。 >その三年後の一八八二年に民権派の大隈重信らによって創設された東京専門学校(早稲田大学の前身)では、建学の精神を「学問の独立」に置き、そのために日本語による教育を進めた。 >開学の中心となった小野梓(あずさ)(一八五二~八六)は、開校式における演説で、外国語に過度に依存してきた日本の学問研究の在り方を痛烈に批判した(島善高『早稲田大学小史〔第三版〕』)。遠藤もまた実業専門学校の授業は日本語で行うべきだと主張している。
無哲学・能天気な人たちの指導する大学では、英米流の高等教育はなりたちませんね。わが国の高等教育は時間の無駄ですね。 日本語は写生画の言葉である。現実 (事実) は見ればわかる。Seeing is believing. 現実の正解は一つしかない。問答無用である。だから、日本語はご唱和の内容になる。 非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文になる。文にならないものは考えではない。 矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っている。だから、正解は無数にある。考えの優劣を競い合う議論も可能になる。
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。 私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy. 日本人には自己の考え (非現実) がない。だから、わが国のインテリは受け売り専門の人になる。思考を停止している人は、つかみどころのない人間になる。 イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。 評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)
大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。 私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。
政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。 我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。 ‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。 孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)。(引用終り)
我が国には人手不足の話はあるが、頭脳不足の話はない。わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。バラバラな単語ばかりの歌詞には意味がない。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。 、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。プラトンの対話篇から、例として『クリトン』をあげてみよう。この対話は、明日の死刑執行を前にして、夜明けに、獄中のソクラテスをクリトンがたずねて、脱獄をすすめるところからはじまる。もちろんソクラテスは寝ている。だがどう読んでみても、ソクラテスが起き上がって、威儀を正して、法の遵守を説いて、クリトンに反論したとは思えない。ソクラテスは、おそらく最後まで寝っころがったままで話しているのだ。従って、この場合、純粋に、ソクラテスの言った言葉 (ロゴス) だけが問題なので、彼の態度や語調は全く問題にされないのである。日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)
日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。 日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)
>海軍少佐の「米国語を追払え」という発言 >反米的な時代の雰囲気のなかで、海軍少佐だった福永恭助(一八八九~一九七一)は『東京朝日新聞』一九二四(大正一三)年六月一八日号に「米国語を追払え」と題したセンセーショナルな記事を寄稿した。 >「英語」ではなく「米国語」とした点に反米色が表現されている。 >福永は日本の街角に米国語が氾濫している状況を「独立国の体面に係る不見識な話」だと嘆き、「米国語の濫用を慎み、国語の擁護を計らなければならない」と主張した。 >ただし、「国語の世界的発展」の障害となる漢字交り文のかわりに「日本語をローマ字で綴る事」を提案している。
我が国の ‘かな漢字’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。
>ローマ字の推奨は浮田和民の主張(一九一六)と同じである。 >福永は海軍将校を養成する海軍兵学校の卒業生で、海洋小説や軍記小説を発表し、国語国字問題や口語化運動にも携わった。 >日本海軍は太平洋の対岸にあるアメリカを仮想敵国としていたから、福永は米国での排日移民法に過敏に反応し、その鬱憤を「米国語を追払え」という主張に込めたのであろう。
鬼畜米英の主張には見返りが少ないですね。
>英語教育は世につれ、世は英語教育につれ。 >時代が変われば、英語教育をめぐる考え方も一変するようだ。 >それで翻弄されるのはいつも子供たちなのだ。
そうですね。我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
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