2023年04月22日(土) 

 

>なぜ日本人はいくら勉強しても英語を話せないのか…養老孟司が考える「日本の学校教育はココがおかしい」   >養老 孟司,藻谷 浩介 の意見 • 4 時間前   

>日本の学校教育はどこに問題があるのか。   

>解剖学者の養老孟司さんは「子供を椅子に座らせ、暗記で知識を詰め込む教育はもうやめたほうがいい」という。   

>エコノミストの藻谷浩介さんとの対談を収録した新刊『日本の進む道 成長とは何だったのか』(毎日新聞出版)から一部を紹介する――。   

>なぜ日本では「読み書きそろばん」というのか   

>【藻谷浩介(以下、藻谷)】日本の英語教育は、発音能力、会話能力、ディベート能力を鍛えません。   

 

そうですね。日本人の英語教師はこれらの事が不得意ですからね。       

 

>だから学校で教える英語は意味がないという意見は少なくありません。   

>先生からみるとこの辺りはどう思いますか。   

>【養老孟司(以下、養老)】学校で何年も英語を習っているのに英語がちっとも上手にならない、しゃべるのが上手にならないと言われますが、そんなことは当たり前でしょう。   

>昔から日本では「読み書きそろばん」と言っていたように、「読み」が中心になっています。   

 

英文和訳がわが国の英語教育の主体でしたね。だから日本人の英語教師が幅を利かせています。読みに発音能力は入っていませんね。      

 

>そのことを疑問に思った人はいませんでした。   

>ギリシアは二千年以上前からお金をとって弁論術を教えていました。   

>しゃべることを教えて金になる国でしたが、読みが中心の言語は日本語の他にあるのでしょうかねえ。   

>「あの国ではできているのに日本では」などとよく言いますが、もともとそうに決まっていますよ。   

>つまり、日本語を教えている段階で、何を教えているかがわかっていないのでしょうね。   

>日本語を教えているということは、日本の文化そのものを叩き込んでいることです。   

>僕はそのことを漫画を例にして指摘してきました。   

>なぜ日本で漫画が発達するかというと、日本語は音読みをするからです。   

>漢字のもとは象形文字です、すなわち「漫画」です。   

>それにいろいろな「音」を振るのが日本語の特徴です。   

 

そうですね。   

我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)          

 

>ニッポンの漫画は日本語そのもの   

>【養老】欧米の言語などは音が先にあってそれを表記する表音文字ですが、日本語は逆になっていて、ある意味のある図形があって、それに対して音を自由に振っていきます。   

>その振った音が漫画の吹き出しです。   

>だから吹き出しの中には難しい漢字を入れてはいけない。   

>アメリカの漫画を見ると吹き出しはセリフというよりもト書きになっていますが、日本の場合はト書きではなく、音と意味の文芸になっています。   

>だから、僕たちが日本語を読むときには、仮名に対応する表音文字の部分と漢字に対応する意味の部分の二カ所の脳を使って、図形と意味を直結しているわけです。   

>国語の先生は「漫画を読んでいても字を覚えてないからだめだ」と言いますが、僕は、漫画は日本語そのものだと思います。   

>つまり、日本で国語教育をすると漫画寄りの訓練をしていることになります。  

>日本で平安時代から漫画が成立するのは、音訓読みが成立したからでしょう。   

 

日本語は ‘写生画の言葉’ であるといわれていますね。   

 

>僕は長年そう言っていますが、あまり聞いてもらえません。   

>英語は挿絵のない論文をいきなり読むようなもの   

>【藻谷】なるほど。

>象形文字=面であって、いろんな音や意味を振れる漢字と、表音文字のかなを組み合わせた日本語はその構造自体が、面と吹き出しを組み合わせにした漫画と同じ。   

>そういう日本語で思考している日本人が、表音文字のみの英語での思考に切り替えるのは、漫画しか読んだことのない人がいきなり挿絵一つない論文を読むようなもの。   

>そういうことですね。   

>実際にも、漫画も日本語も要点をとらえて速読できるし、画像処理と言語処理を両方伴うので、英語より複雑なニュアンスを伝えられる。   

>しかし私の場合には、意図して読む方ではなく話す方の英語を鍛えたおかげで、頭を切り替えることで漫画も論文も両方読めるようになって、世界が広がりましたが。   

>私はカタカナと漢字だけの戦前の文章を読むと頭にすっと入って来ないのはなぜかと思っていましたが、戦後はカタカナは外来語にあてるようになったので、カタカナ語はいわば第二の漢字として、象形文字的に脳が理解しているのかな、といま気づきました。   

 

そうですね。カタカナ語は純然たる日本語ですね。何処の外国でも通用しませんね。      

 

>「イノベーション」とか典型ですが、「進歩」とかいうのと同じで、意味不明なのに一つの固まった概念としてすっと頭に入ってきます。   

>これが「いのべーしょん」とか「しんぽ」と書かれていると、思わず「どういう意図なんだろう」ともう一段深く考えるのですが。  

 

概念の理解は日本人には難しいですね。中国人も表音文字の内容を理解するのは苦手ですね。        

 

(略)

 

 

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閲覧数92 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/04/22 23:33
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