>文春オンライン >「改善の余地がある、これでは墓穴と同じだ」という現場の指摘も無視…戦時下に起こっていた日本組織特有の“致命的な問題” >藤井非三四 によるストーリー • 7 時間前 > 太平洋戦争史を振り返ると、日本人特有の「戦い方」が敗因となったケースは数多く存在する。 >成功体験から抜け出せずに同じ戦い方を繰り返す、
そうですね。 賢い人は「純粋によく観察する」が、そうでない人は「自分の期待したもの」しか見ようとしない。
>方針転換ができず泥沼にはまり込む、
日本人は指示待ち人間である。日本人は思考を停止している。方針が立てられないから方針転換もできない。泥沼は避けられない。
>想定外に弱く奇襲されると動揺して浮き足立つ……。
日本人には世界観が無い。だから、未来の世界の内容も想定外になっている。一寸先は闇に見える。全ての襲来は奇襲になる。
>そうした特徴は、今日の会社や学校などの組織でも頻繁に見られることではないだろうか。
日本人は日本語を使って話している。だから日本語文法の難点はそのまま日本人の思考に表れている。昔から今日まで続いている。
> ここでは、軍事研究家の藤井非三四氏による 『太平洋戦争史に学ぶ 日本人の戦い方』 (集英社新書)の一部を抜粋。 >戦時下の日本において、異常なまでの我慢を強いられ続けた人々について紹介する。(全2回の1回目/ 続きを読む )
日本人は我慢で理不尽を乗り切ることしか考えられない。我慢強い国民である。恣意に依る決断である。暗愚というのかな。 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである' (昭和天皇)
>◆◆◆ >限界を超えた負担を強いられた兵員 > 戦争が長引き、損耗が重なれば、補充兵の比率が高まるのは当然だ。 >満足な訓練も受けていない乙種の者が主体となる補充兵に対して、甲種で本格的な訓練を受けた現役兵と同じ戦力の発揮を期待することには無理がある。 >補充兵はすぐにも行軍に問題を生じさせる。 >資材や糧食など30キロを背負い、4キロの小銃を肩にし、慣れない革製の編上靴で歩幅75センチ、1分間に114歩、45分歩いて15分の小休止という行軍をすれば、すぐに足にマメが生じる。 >アキレス腱のあたりに靴擦れができると、我慢の問題ではなくなり歩行不能となる。 > 戦地に行けば歩くだけではない。 >日本軍の多くを占める歩兵は、1日に2回、自ら炊事をする必要がある。 >朝は2食用意し、うち1食は昼食用だ。 >携行した糧食を食べ尽くせば、自力で食物を現地調達しなければならない。 >炊事に使う水や薪も自分の足で探す。 >馬を連れていれば、多くの水を用意して、まずその世話からする。 >こんな毎日が続けば、補充兵が落伍するのも無理はない。 >外地における戦地での落伍は即、死を意味するから、それならばと自決するという痛ましい結果になる。 >相応な準備もなく、ただ漫然と戦線を拡大したツケは兵員に回される形となったわけだ。
日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任も無い。上の者に指導力もなく大衆はただ置いて行かれる。 ‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
(略)
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