2023年06月09日(金) 

 

>プレジデントオンライン   >日本の教育は"授業以外"が多すぎる…部活に掃除当番、行事の山で「学校=友達」になってしまう弊害   >鶴見 済 の意見 • 4 時間前   

>大勢の写真や集まりに惹かれるのはなぜか。   

>フリーライターの鶴見済さんは「人間は、進化の過程で集団になり生き延びてきた遺伝子からか、大勢をうらやましいと思ってしまう。   

>しかし、大勢の世界を押し付けられる息苦しさもあり、そうした世界から逃げ出したい子供たちは増加している」という――。   

>※本稿は、鶴見済『人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。   

(略)

>世界的にも友だちが多い日本の子ども   

>そもそも仲のいい友人は、何人くらいいるのが普通なのだろう?   

>日本の我々が想定する必要な友人の数は、少し多めに設定されているように思う。   

>「友だち百人できるかな」で有名な「一年生になったら」は、今でも幼稚園の卒園式で歌われる定番の曲なのだそうだ。   

>ある国際アンケートで仲のいい友人の数を聞いてみたら、日本の学校に在学している人では平均9.6人もいた。   

>これは先進7か国のなかでも、しかもフルタイム労働者、アルバイトなど様々な立場の人の場合と比べても、飛びぬけて多い数字だった。   

>ちなみに「学校に通う意義」を聞くと、「友だちとの友情をはぐくむ」が日本では群を抜いて世界一多かった。   

>他の国で多かったのは「知識を身につける」だったのに(※1)。   

>日本の学校とはつまり、勉強よりも友だちのためにある場所なのだ。   

>それが「大勢でワーッ」に対する我々の感覚に影響していることは、十分にあり得る。   

>人間関係の訓練をしている日本の学校   

>なぜ日本では「学校=友だち」になってしまうのか。   

>それには理由がある。   

>親しい友だちかどうかは、ある程度顔を合わせる時間や回数で決まってしまうものだ。   

>その後の人生に比べれば学校時代は、ずいぶんたくさんの人間が、よかれ悪しかれ強く心に焼きついていた。   

>まず授業以外に中学、高校では部活動がある。   

>運動会や文化祭、合唱コンクール、遠足、修学旅行といった年中行事がある。   

>クラスには、掃除当番、給食当番があり、班、係などの日々の活動がある。   

>こんなに人と一緒に何かやっていたら、近く感じる人が増えるのは当たり前のことだ。   

>けれども授業でもないこうした活動は、考えてみれば奇妙だ。   

>これらは“特別活動”と呼ばれていて、世界でも珍しい活動なのだ。   

>「日本式教育」「海外では一般的に行われていない」と教育関係者は自画自賛している。   

>あるドイツ人の女性と話す機会があったので、そちらには部活はあるのかと聞いてみた。   

>彼女によれば部活はなく、放課後になったらみんな帰るそうだ。   

>それだけのことにすっかり感心したのを憶えている。   

>毎日の印象がどれだけ違うことだろう。   

>文科省が発表している特別活動の目標をネットで見てみると、「望ましい人間関係を形成する」と何度も何度も書かれていてうんざりしてしまった。   

>我々は学校で、人間関係の訓練をさせられていたのだった。   

>放課後どころか、場合によっては土日、授業前の朝まで練習をしていたら、学校にいる時間が長すぎて、半分寄宿制の学校に入っているようなものだ。   

>もちろんそこには、しつけの意味もあるだろう。   

 

馴れ合い (なあなあ主義) ばかり発達させるのは良くないですね。   

‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。

リーズン (理性・理由・適当) の教育が必要ですね。リーズナブルな答えが出せるように努力しましょう。   

 

>自分 [鶴見斉] が開いている「不適応者の居場所」には、いつも30~40人ほどの人が集まる。   

>ちょうどひとクラス分くらいの人数だ。   

>この集まりで何か共同作業でも頻繁にやれば、もっとたくさんの人と近くなれるだろう。

>けれども近すぎるがゆえの摩擦も同時に増えていく。   

>そうまでして何かをやったほうがいいとは思えない。   

>大勢の世界から逃げ出す子どもたち   

>今日本では、通信制の高校が何かと注目を集める。   

>学校の数は急激に伸びていて、生徒数も増えている。   

>通信制では週一日程度の登校日以外は、自宅で勉強するのだ。   

>また、家庭で独自に勉強をするホームスクーリングをしている子どもも増えていると言われる。   

>ホームスクーリングは日本では正式には認められていないけれども、アメリカ、イギリス、カナダなどでは教育として公認されている。   

>またフリースクールに通う子どもや、不登校の子どものための居場所も増えている。   

>こうした動向を見ると、それ見ろと思ってしまう。   

>大勢でワーッと騒いでいる世界から逃げたい子どももたくさんいたのだ。   

>「大勢でワーッ」という写真を見て、「ああうらやましいな」と思う気持ちはいつまでもなくならないだろう。   

>自分などこの年齢になっても、しかも自分でもそこそこ大きな集まりをやっているのに、やはりそう思うのだから呆れてしまう。   

>だからと言って、そのためだけに友だちの数を増やそうとしたり、わざわざ集まって集合写真を撮って、SNSにあげたりするのはやめにしたい。   

>なぜなら、そういうことをするのは美しくないから。  

 

集合写真をSNSに上げるのは没個性の表れですかね。   

 

>単に自分の美意識からそう思う。   

>※1「世界青年意識調査」第8回(2008年)、第9回(2013年)、内閣府

>---------- 鶴見 済(つるみ・わたる) フリーライター 1964年、東京都生まれ。   

>東京大学文学部社会学科卒。   

>複数の会社に勤務したが、90年代初めにフリーライターに。   

>生きづらさの問題を追い続けてきた。   

>精神科通院は10代から。   

>つながりづくりの場「不適応者の居場所」を主宰。   

>著書に『0円で生きる』『完全自殺マニュアル』『脱資本主義宣言』『人格改造マニュアル』『檻のなかのダンス』『無気力製造工場』などがある。   

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閲覧数70 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/06/09 13:47
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