2023年06月09日(金) 

 

>AERA dot.   >「戦争の足音が聞こえる」 岸田首相の「大軍拡」と東京大空襲経験者の懸念とは   >4 時間前

> 米誌「タイム」が表紙に日本の岸田首相を掲載、見出しで「軍事大国化を望む」と紹介した。   

>電子版では見出しが弱めのトーンに修正されたが、識者は「大軍拡が始まった」と指摘する。  

 

そうですね。軍拡が始まりましたね。    

 

>AERA 2023年6月12日号の記事を紹介する。   

>*  *  *   

> あの夜の光景は、80年近く経っても片時も忘れることはない。   

>「人が燃えながら走って、お母さんに背負われた子どもは背中で燃えていました」   

> 二瓶治代さん(86)は、そう話す。   

> 一夜にして10万人以上の命が奪われた1945年3月10日の東京大空襲。   

>二瓶さんは当時8歳。   

>小学校2年で、東京都江東区の亀戸駅近くに、家族5人で暮らしていた。   

>空襲前日、夕方まで近所の仲良したちと遊び、「また明日、遊ぼうね」と約束して別れた。   

>だが、その「明日」は来なかった。  

 

日本人に反省の色はないですね。全ては事の次第と成り行きで説明されますからね。日本語の問題でしょうかね。    

 

>■今は戦前と似ている   

> その日未明、米軍の爆撃機B29が投下した焼夷(しょうい)弾によって、街は一面炎の海と化した。   

>二瓶さんは家族とはぐれ、炎から逃げ惑い、人垣の下敷きになったことで奇跡的に生き残った。   

> 家族も全員無事だったが、生きたいと願った大勢の人がいた。   

>その事実を埋もれさせてはいけない、二度と戦争を起こしてはいけない。   

>その思いから「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都江東区)で、自身の体験を継承する活動を続ける。   

> 長い歳月が流れたが、二瓶さんの心の中では死んだ人は生きている。   

>そしてふとした瞬間、あの頃が蘇る。   

 

日本人には意思が無い。だから日本人には加害者意識がない。罪の意識がない。深刻な反省には至らない。’過ちは繰り返しませぬ’ 程度か。あるのは被害者意識ばかりなり。これではアニマルと同じですね。      

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下) 

 

>日本は戦争に負けていたが「勝っている」と教えられ、「『神の国』だから空襲があっても神風が吹いて敵機を追い払ってくれる」と教えられた。   

 

あるのは被害者意識ばかりなり。  

 

>今の日本も、事実を隠したり、防衛費を増額したりしようとして、戦前と似ているという。   

 

神風の方は嘘八百であったが、防衛費の方は本当ではないでしょうか。   

 

>「日本はまた同じ道をたどろうとしていると思います。   

>戦争の足音が聞こえます」(二瓶さん)   

 

我が国民は戦争は好きで好きで大好きで、ご丁寧にハワイまで爆弾を落としに行った。そして、祝賀の提灯行列までやった。      

 

>今年の5月12日に発売された米誌「タイム」(5月22、29日号)。表紙を飾ったのは、上目遣いの岸田文雄首相だった。   

>タイムは「日本の選択」と題し、こう紹介した。   

>「岸田総理大臣は長年続いた平和主義を捨て去り、日本を軍事大国に変えようとしている」   

 

そうですね。軍事大国の抑止力を使おうとしていますね。       

 

> 当初、5月9日に公開された電子版にも同じ見出しがついていたが、日本政府からの申し入れにより電子版は、「岸田総理大臣は平和主義だった日本に、世界の舞台でさらに積極的な役割を与えようとしている」と、トーンを弱める表現に変更された。   

>■戦争を行える国に   

> だが、憲法学者で学習院大学の青井未帆教授は、「憲法論からの切り離しは最終段階にあり、大軍拡が始まった」と指摘する。   

 

軍拡には憲法改正が必要ですね。   

 

>「この間の動きが実際に始まったのが、2012年末からの第2次安倍政権下だと思います。   

>翌年の12月に特定秘密保護法が制定され国家安全保障会議(NSC)が設置、国家安全保障戦略も策定され、翌14年には集団的自衛権の行使が容認されました」   

> 中でも集団的自衛権の行使は、日本への武力攻撃がないのに武力を用いることができるとしたもので、戦争放棄・戦力不保持、交戦権の否認を掲げる憲法9条の構想と根本でぶつかる。   

 

そうですね。憲法9条の改正は必要ですね。  

‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’  (マシュー・ポッティンジャー)     

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。 北方領土だ。 だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相)     

 

>しかし、安倍政権は閣議決定で憲法解釈を変更した。  

 

日本人は文章の内容を変更しないで、その解釈の変更をする。我々は文章により動かぬ内容を定義することはできないのですかね。日本語は極めて信頼性の低い言語ですね。     

 

>「こうして安全保障論が憲法論から切り離され政策論で進められ、国会や裁判所などによるチェックが入らない状態になりました。   

 

融通無碍の日本人の性格と一致しますね。独りよがりで外部の信頼が得られないですね。   

 

>その一つの区切りとして、昨年末に安全保障3文書が改定されました」(青井教授)   

> 安全保障3文書とは、国の安全保障に関する「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」の三つを指す。   

>相手国の司令部なども攻撃対象とする「敵基地攻撃能力(反撃能力)」の保有が明記され、防衛費は国内総生産(GDP)比2%に達するようにすることなどが盛り込まれた。   

>「3文書の改定は、憲法9条の下で『専守防衛』を基本にしてきた日本の安全保障政策を変える重大な政策転換でした。   

 

無哲学・能天気な日本人には何ら気になる所のない政策転換ですね。   

 

>それにもかかわらず、閣議決定によって決められ、憲法論は実質的に行われませんでした。   

 

憲法論に集中しないのは根本的な立法の間違いですね。立法の関係者は一体何をしているのですかね。      

 

>こうして日本は、戦争を行える国になりました」(同)   

 

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。

 

>(編集部・野村昌二)   

>※AERA 2023年6月12日号より抜粋   

 

 

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閲覧数63 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/06/09 20:24
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