>文春オンライン >「天皇のため命を投げ出し、国に尽くさねばならない」日本はなぜ戦争を繰り返す国だったのか…大日本帝国を支えた“戦前”の神話 >一ノ瀬 俊也 によるストーリー • 昨日 6:10 > 昨年末、タレントのタモリが2023年について「新しい戦前」になるのではと発言して議論を呼んだ。
そうですね。日本人のメンタリティ (考え方) はかわりませんからね。
>将来の日本は「戦前」のように戦争をする国になるのではという不安を覚えた人が多かったのだろう。
そうですね。日本人には自己の意思が無い ‘指示待ち人間’ ばかりですから。危険な人物ですね。
> では「戦前」の日本はなぜ戦争を繰り返す国だったのか。 >本書はそのからくりを「日本神話」に注目して解き明かそうとしたものである。 > 明治維新で幕府を打倒した薩長勢力は人びとを「国民」として統合していくための物語として神話を利用した。 >この物語の骨子は、むかし森喜朗・元首相がいみじくも述べたように日本は「天皇を中心とした神の国」であり、人びとは神話の時代から天皇とその祖先、そして自らの祖先を敬いながら生きてきた、だから日本国民も同じようにいざとなれば天皇のため命を投げ出し、国に尽くさねばならない、というものだ。
日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。
日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。
日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。
日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。
> 本書は、こうした神話に基づいて作られた国家の興亡こそが「戦前」の正体であると喝破する。 >その白眉は、著者が自ら行った、神話に関する記念碑のフィールドワークである。 > たとえば宮崎市に今も立っている「平和の塔」は戦前は「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」といい、日中戦争下の1940(昭和15)年に当時の日本の勢力圏から送られた石材で造られたもので、その中には南京など中国の戦地のものも含まれる。 >この年は神武天皇が即位してからちょうど2600年にあたるとされた。 >塔は大日本帝国の悠久の歴史や勢威をわかりやすく誇示し、仰ぎ見る人びとを鼓舞する役割を果たした。
それは気分・雰囲気の問題ですね。日本人には哲学 (考え) がない。
> こうした数々の記念碑や神話を讃える歌の流布などを通じて、明治の当初は「ネタ」(虚構)であったはずの神話の物語はやがて「ベタ」(真実)と化し、多数の人びとを昭和の戦場に駆り立てていった。 >本書はそのありさまを明快に描き出している。
事の次第と成り行きがその内容ですね。日本人の行動は自然の中に溶け込んでいますね。
>巻末の参考文献一覧は、この分野に関心を持つ読者にとって、格好の読書案内となっている。 > ところで、本書を読んでいくと「戦前」をそれぞれ都合よく解釈して激しく対立する「右派」と「左派」のはざまで中庸を説くというスタンスが一貫して強調されている。 >こうしたきわめてSNS的な図式になじみのない読者はややとまどうのではないかとも思ったが、売れ行きが好調と聞いているので、それは杞憂だったのだろう。 >言論人がそれぞれの持つ「戦前」像を語ることには、いぜん重要な意義があると再認識させられた。
考えは人人により違いますからね。
> 著者は日本国民がこれからも国民としてまとまり、国としての一体性を保っていくためには、「戦前」の神話にかわる新たな物語の創出が必要だと訴える。
それは哲学ではなくて、空想・妄想の類でしょうね。日本人の文化には形式があって内容が無い。
>それがどのようなものであるのか、ひごろ細かい話ばかりしている「専門家」のはしくれである評者 [一ノ瀬俊也] にはわからないが、著者 [辻田真佐憲] の今後の仕事に注目していきたい。 >つじたまさのり/1984年、大阪府生まれ。 >評論家・近現代史研究者。 >著書に『防衛省の研究』『超空気支配社会』『古関裕而の昭和史』『大本営発表』『たのしいプロパガンダ』『日本の軍歌』、共編著に『文藝春秋が見た戦争と日本人』などがある。 >いちのせとしや/1971年、福岡県生まれ。 >埼玉大学教養学部教授。 >専門は日本近現代史。著書に『昭和戦争史講義』『東條英機』など。 >(一ノ瀬 俊也/週刊文春 2023年7月6日号)
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