2023年08月16日(水) 

 

>[社説]8・15と戦争 「力の政治」には限界が   >沖縄タイムス社 によるストーリー •   >1 日   

> ロシアによるミサイル攻撃でウクライナに空襲警報のサイレンが鳴り響く。   

> その不穏な音と逃げ惑う住民の姿が、78年前の記憶を呼び覚まし、凄惨(せいさん)な日々が思い起こされる。   

> 終戦から78年。   

>今も引きずる過去の戦争と、世界の多くの国々に影響を与えている現在の戦争と、台湾や沖縄を巻き込んで近い将来起こるかもしれないと懸念される戦争。   

>三つの戦争に直面して多くの人たちが、戦争への不安を抱き始めている。   

> 再び戦争が起こるのではないか、戦争という磁場に日本全体が吸い寄せられつつあるのではないか、という不安を強く感じている。    

 

自己の意思を示せば当事者・関係者となる。示さなければ傍観者にとどまる。日本人には意思が無い。だから常に高みの見物になっている。わが国は世界の中にあって、世界に属していない。だから、我々は世界に対して力を発揮できない。   

 

> 中国の軍備増強と海洋進出、北朝鮮の核・ミサイル開発、ロシアの武力行使。   

>こうした動きを脅威と感じる人々が急速に増えた。   

> 政府は政府で、安全保障環境の変化を前面に掲げ、憲法9条の下で抑制的だった防衛政策を大転換し、敵基地攻撃能力の保有まで認めるようになった。   

 

ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに核兵器使用をちらつかせて恫喝した。

これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967年 (S42) 12月に 佐藤栄作首相は説明した。 日本人のお花畑はもうない。

「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領) 

‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’  (マシュー・ポッティンジャー) 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相)   

 

日本人は議論下手である。だから相手と交渉ができない。しかたがないから世界の事を自分一人で決める。この世は自分と相手とで成り立つ世界であるということを忘れているようだ。   

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)  

 

> 戦争体験者が激減し、戦後生まれの国会議員が国会の圧倒的多数を占めるようになったため、戦争体験という共通の土俵の中で議論を戦わせることもできなくなった。   

> その影響は決して小さくない。   

>戦争の発生を懸念させる要素が重なって、同時に表面化しているのである。   

> 安全への脅威が対抗措置を求める空気を生み、戦争への備えが相手国の反発を招き対立を先鋭化させる、という悪循環。   

>だが「力の政治」に限界があるのは明らかだ。   

 

力の均衡は大切ですね。プーチン大統領は力関係を見誤った。   

 

>■    ■   

> 戦争が起きたときに犠牲になるのは誰か。   

> 沖縄戦が終わったその年の1945年8月の沖縄の人口の年齢構成比を見ると、極端にアンバランスであり、犠牲の深刻さが分かる。   

> 犠牲は全年齢層に及ぶが、とりわけ「15歳から44歳までの男性の犠牲の大きさは明らかである」と、鉄血勤皇隊に加わった元県知事の大田昌秀氏は指摘する(「総史沖縄戦」)。   

> 沖縄戦では、敵を攻撃すれば数倍の反撃が返ってきた。   

>1~5歳の幼児の犠牲も目立つ。   

>沖縄が再び戦場化すれば住民犠牲は避けられない。   

 

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦争でも 原爆投下にゃ勝てやせぬ。泣いて崩れた敗戦日。

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)   

 

> 戦争の過酷さを経験していない人が指導層を占めるようになると、「長期的には指導層の戦争への心理的抵抗が低下する」と、精神医学者の中井久夫氏は指摘する(「戦争と平和 ある観察」)。   

 

日本人には意思が無い。気分・雰囲気に左右されて理性的な行動がとれない。それが被害を大きくする。      

 

> 「その彼らは戦争を発動する権限だけは手にしている」■    ■   

 

日本人には意思 (will) が無くて恣意 (self-will) がある。意思は文の内容になり意味があるが恣意 (私意・我儘・身勝手) は文にならず意味がない。日本人には討論 (理詰めの議論) が無くて談合 (腹の探り合い) がある。意思疎通 (相互理解) が無くて恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) がある。 意思決定 (理性判断) が無くて恣意決定 (盲目の判断) がある。恣意決定では説明責任を負うことは難しい。だから、事後処理はうやむやになる。極めて危険な馴れ合いの政治が行われている。   

自由とは意思の自由の事である。意思の無い人には自由そのものにも意味がない。意思の代わりに恣意を使うことは許さない。恣意の自由は ‘自由のはき違え’ となって糾弾される。だから日本人の生活は昔の通りに‘不自由を常と思えば不足なし’ということになる。危険な政治にも抗議運動は難しい。     

 

> 今や、戦争をまったく知らない世代が社会の圧倒的多数を占める。   

>戦争を起こさせないために、何をすべきなのか。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

> 戦争体験はなくても体験者からその核心を学んだり、体験者の証言を丹念に読むことを通して戦争がどういうものかを感じ取ることはできる。   

> 人権という視点から戦争を捉え直すこと、戦争違法化の歴史や国際法の限界と可能性を学ぶこと、国会を監視することなど取り組むべき課題は多い。   

 

課題に取り組んでいる人の学習結果を知りたいですね。   

 

> 沖縄はそのような試みができる場である。   

 

ウクライナもベトナムも沖縄も体験者から証言が得られて戦争の学習にはよいところですね。   

しかし我々日本人のノンポリ・政治音痴を直さないと政治責任者の横暴は防げませんね。従って過ちは繰り返します。   

 

 

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閲覧数135 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/08/16 08:45
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