> 広島市の平和記念公園と、米ハワイ州のパールハーバー国立記念公園との姉妹公園協定を巡り、市の村上慎一郎市民局長が米国の原爆投下に関して「米国の責任の議論を現時点では棚上げにし、まずは核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという市民社会の機運醸成を図っていく」と市議会で答弁していたことが26日、分かった。 > 市によると、米国の原爆投下について市が議会答弁で「棚上げ」という表現を使うのは初めて。
そうですね。双方の理解が難しいので棚上げですね。
>広島県原爆被害者団体協議会(県被団協)などは26日、市に答弁の撤回を要請した。 > 答弁があったのは21日の市議会一般質問。 >翌22日の議会で趣旨を問われ、村上局長は「協定が米国の責任を不問・免罪にするためのものではないことを理解してもらうために用いた」と釈明した。
日本は加害の歴史のない国ですからね。責任も無ければ免罪無い。
>協定は6月29日に締結した。 > 26日の要請で、別の市担当者は「発言の撤回は考えていない」と回答。 >県被団協の佐久間邦彦理事長(78)は「多くの人が原爆で亡くなり、いまだに苦しんでいる状況の中で、『棚上げ』とはどういうことか。 >納得できない」と述べた。
それが分かれば苦労はない。 アニマルには加害者意識がない。罪の意識もない。アニマルに加害者意識があると自己の捕食活動に差支えが出るからであろう。 アニマルには被害者意識がある。被害者意識がないとわが身を外敵から守ることができない。つまり弱肉強食の世界に生き抜くことができない。 だから、アニマルは加害者意識がなくて、被害者意識があるのがよい。
日本人には意思が無い。だから加害者意識もない。罪の意識もない。病める魂の救済を求める人もいない。日本の宗教は罪の問題を取り扱わない。そして日本人には被害者意識だけがある。これはアニマルと同じである。 日本人には罪の意識がないのであるから自己の行為に少しも悪びれるところがない。子供のようなものである。高らかに自己の被害者意識を世界に向かって宣言する。’もう戦争はこりごりである’ということである。歌詠みのようなものである。気分・雰囲気・感情の表現であって、意味がない。 こうした罪を知らない大人達の ‘したり顔’ を見るのは恨めしい。被害者意識だけがある人たちばかりの日本人社会は実に恨めしい社会である。
米大統領トルーマンは、極め付きの反日、侮日主義者で、原爆投下については、「獣を扱うには、獣にふさわしい方法でやった」と、日本人を獣扱いしていたと言われています。 ‘あいつ [J. ロバート オッペンハイマー] の手が血塗られているだって? 冗談じゃない。あいつには私の手についている血の半分もついていないさ。泣き言を言うなんて、けしからん。’ (ハリー・トルーマン大統領) オッペンハイマーは原爆の父であり、トルーマンは原爆投下の張本人である。彼らには加害者意識があり、罪の意識もある。彼らのお陰で多くの日本人が一億総玉砕を免れた。 好きで好きで大好きで死ぬほど好きな戦でも原爆投下にゃ勝てはせぬ、泣いて崩れた敗戦日。わが国は原爆開発において米国に遅れをとった。 日本人以外のアジア人でアメリカの原爆投下を非難する者はいない。 「歴史の皮肉の一つは、自国の人々に尊敬された裕仁が1989年に安らかに亡くなった一方、殺戮を終結させた英雄ハリー・トルーマンには今もなお道徳的な汚点がついていることだ。 ロバート・オッペンハイマーにもクレジットが与えられるべきだ。 ピースメーカー(平和をもたらす人)に祝福あれ」 (提供:The National Archives/ロイター/アフロ) あくまでも裕仁が自国民に尊敬されるのは日本人の序列メンタリティによるものですね。これは我が国民の島国根性の根源ですね。贔屓の引き倒しですね。
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