2023年09月29日(金) 

 

>日本には特定の宗教への信仰を持たない「無神論者」が多い。   

>だが、欧米ではこの言葉は極度に否定的なイメージでとらえられている。   

>北海道大学大学院の岡本亮輔教授は「信仰を重視する欧米では、無神論者は反社会的でためらいなく殺人や虐待を行う危険人物とみなされる。   

>日本とは言葉の意味がまったく異なってしまう」という――。   

(略)

>日本の宗教文化では圧倒的に信仰よりも実践重視   

>この枠組みからいえば、日本の仏教や神道は圧倒的に実践重視だ。   

 

生まれた時には宮参り、結婚式にはキリスト教会、死んだときには葬式仏教の厄介になる。良い気分・雰囲気を求めてやまない日本人の生活になる。  

 

>初詣や受験前の参拝客で、祭神に関わる由緒や教学に通じる人はほとんどいない。   

>自分の家が代々曹洞宗寺院の檀家(だんか)だとして、『正法眼蔵』やそのエッセンスをまとめた『修証義』に日常的に親しんでいる人がどれほどいるだろうか。   

>恐らく『修証義』の名前も知らない人が多いはずだ。   

>これが日本の宗教文化の大きな特徴である。   

>教義や教典のような信仰要素は、一般の信者にとってそれほど重要ではない。   

>信じていなくても初詣や葬儀を実践する。   

>あるいは、信仰と実践がリンクしていないといってもよい。   

>だから結婚式だけは教会でも矛盾を感じない。   

>信仰よりも実践が重視される傾向が強いのだ。   

>つまり、信者(believer)という言葉が、そもそも日本の宗教文化に当てはまりにくいのである。   

>だからこそ、日本は無神論者率ランキングで最上位グループに入る。   

>こうした調査では「信仰を持っているかどうか」、つまり神仏のような超越的存在の実在を信じ、それをめぐる信念を持っているかどうかを尋ねる。   

>信仰の有無を訊かれれば、多くの日本人は否定するしかない。   

>しかし地獄や浄土の存在を確信していなくても先祖供養は続けるし、幽霊の実在を信じていなくても事故物件は避けるし、なんなら動物の供養もするのである。   

 

供養、供養、供養、供養の連続ですね。深い考察は得られませんね。        

 

 (略)  

>神の実在を否定する無神論者は危険人物とみなされる   

>すさまじい全能ぶりであり、介入ぶりだ。   

>あなたが事故や不治の病で死ぬのも神の意志である。   

 

信者は運命論者になりますね。    

 

>あなたがどのような性格や外見や運動能力を持っているのかも神が決定する。   

>日本の「お天道様に顔向けできない」「ご先祖様が見守ってくれる」といった漠然とした感覚とは大きく異なる。   

 

そうですね。日本人は思考を停止していますね。だから何でも漠然としていますね。  

 

>キリスト教の神は遺伝子まで操作するのだ。    

>当然、実在していなくてはならない。   

>だからこそ、無神論者という言葉が持つニュアンスも異なる。   

>神仏の実在にこだわらない日本では、無神論者だとカミングアウトしてもほとんど波紋を起こさない。   

>問い詰められればだいたいの人がそうであるし、それをわざわざ言うのは何か特別な事情でもあるのかと勘繰られる程度だ。   

>しかし、キリスト教の文脈では異なる。   

>無神論者は神の実在を否定する。   

>つまり、この世界の全ては偶然であり、誰かが生まれて死ぬことに意味はなく、倫理道徳は幻想であり、善も悪も相対的なものでしかないと信じているのだと思われる。   

>したがって、無神論者は反社会的であり、ためらいなく殺人や虐待を行う危険人物とみなされるのだ。   

>無神論者当人すら無神論者に負のイメージを抱いている   

>もちろん、そんなわけはない。   

>しかし、無神論者に対するまなざしは大変冷たい。   

 

無神論者は信頼できませんからね。   

 

>アメリカでは、さまざまな宗教の信者と無神論者に対する感情温度が調査されている。   

>感情温度とは、対象への親近感を最も冷たい0度から最も温かい100度までの温度で示したものだ。   

>要するに、温かい気持ちを抱いているか、冷たい気持ちを抱いているかである。   

>ユダヤ教徒、カトリック教徒、主流派プロテスタント教徒といったマジョリティの宗教信者に対する気持ちは平均して温かく、60度を超える。   

>仏教徒(57度)やヒンドゥー教徒(55度)がそれに続く。   

>一方、無神論者はイスラム教徒と同じ49度で最下位だ。   

>知人友人にその宗教の信者がいれば、親近感は多少増す。   

>イスラム教徒の場合、知り合いにいれば53度に上昇するが、無神論者の場合、知り合いにいても51度だ。   

>さらに、知り合いがいないと38度まで低下し、単独最下位なのである。   

>要するに、「無神論者は不道徳で何をしでかすかわからない」という偏見があるのだ。   

 

そうですね。意思のある人間は罪を犯さないかとおどおどしている。そうでない人間は罪を気にすることなく目的を果たす。   

 

>連続殺人や動物虐待といった凶悪犯罪の犯人は直感的に無神論者だと思われてしまう。   

 

罪を恐れることなく犯行を重ねられますね。   

 

>13カ国を対象とした調査があるが、宗教の影響力が強い国(UAEやインド)、宗教が規制される国(中国など)、宗教離れが進む国(オランダなど)の大半に、こうした偏見があることが分かっている(Gervais, W., Xygalatas, D., McKay, R. et al. “Global Evidence of Extreme Intuitive Moral Prejudice against Atheists”, Nature Human Behavior, 1, 2017.)。   

>さらにすごいことに、この調査によれば、自分自身が無神論者である回答者でさえ、無神論者に同様の偏見を抱いているという。   

>神を否定し、聖書のような倫理道徳の指針を持たない無神論者は何をしでかすかわからない――そうした負のイメージは根強く広がっているのである。   

 

自己判断のできない個人は神の言葉を聞かないと自制できないですからね。   

 

>「宗教信者よりもはるかにまともで賢い」新無神論者の反撃   

>信仰を重視しない日本の宗教文化では「無神論者」はそこまで強い意味を持たないし、実際、日常的に使う言葉ではない。   

 

日本人に深刻な反省は起こりませんね。全てを水に流す習慣がありますから。’過ちは繰り返しませぬから’ で終わりですね。何が過ちであるかは知る由もない。      

 

>一方、キリスト教の文脈でも滅多に使われる言葉ではないが、それはあまりに否定的なイメージが強いからだ。   

>無神論者は善悪の観念や共感能力を持たないサイコパスのように想像される。   

 

罪を知らない幼子のようなものですね。   

 

>しかし、こうした状況を変えようとする動きもある。   

>「無神論者にも倫理道徳はあるし、なんなら宗教信者よりもはるかにまともだ。   

>無神論者こそが賢く、世界を正しく認識している」。  

 

世界を正しく認識しているアニマルの賢さでしょうね。   

 

>そう主張し始めたのが、新無神論者と呼ばれる人々だ。   

>そのリーダーがリチャード・ドーキンス(1941年〜)である。   

>オックスフォード大学で長年教鞭をとった進化生物学者だ。   

>彼の著書『神は妄想である 宗教との決別』(早川書房/2007年)は世界的ベストセラーになった。   

>「神はサンタクロースやユニコーンと同じ」   

>内容はタイトル通りである。   

>神など古代人の妄想であり、現代人は宗教を捨てるべきだとドーキンスは主張する。   

>彼に言わせれば、キリスト教の神も、サンタクロースやユニコーンや妖精と同じく、とても実在するようには思われない。   

>全能の神がこの世界の全てを司る。   

>そんな途方もない主張をしたいなら、途方もないエビデンスを出せ。   

>証明する責任は信じる者にある。   

>証拠がないなら、神が実在するかのように話すのはやめるべきだし、神の言葉を記した聖書も人間が作った古文書だと認めるべきだというのである。   

>ドーキンスにすれば、そもそも「無神論者」という言葉が気に食わない。   

>まともな大人であれば、サンタクロースもユニコーンも妖精も実在するとは思わない。   

>だが、そうした人々をいちいち無サンタクロース論者、無ユニコーン論者、無妖精論者とは言わない。   

>なぜ神についてだけ、無神論者という言葉があるのか。   

 

それは神がとりわけ大切だからでしょう。   

 

>この言葉が、そもそも神の実在を前提にしているというのである。   

 

そうですね。神は死んだ。人間は権威に従って生きるのではなく、自己の考えに従って生きる時代になりましたね。       

 

>「宗教は尊い」というイメージを守ってきたのは誰か   

>さらにドーキンスたちが批判するのが、本当は神を信じていないのに信じているかのように振る舞う人々だ。   

 

それは見栄と外聞を気遣う人たちですね。    

 

>自分自身は神の存在を感じられない。   

 

‘嘘も方便’ というところでしようね。   

 

>だが、信仰を持つのは良いことであると信じ、神の実在を確信する人を尊敬する人々のことを、新無神論者のひとりである科学哲学者ダニエル・デネットは「信仰の信仰者」と呼ぶ(『解明される宗教 進化論的アプローチ』青土社/2010年)。   

>彼らこそが実は宗教信者のマジョリティであり、彼らが「宗教は尊く、無神論者は危ない」というイメージを守ってきたというのである。   

>日本では、そもそも神の実在をめぐる論争が成立しにくい。   

 

日本には現人神が実在しましたね。だが、彼は消えてなくなった。   

 

>「スサノオや阿弥陀が実在するエビデンスを出せ」と言っても、あまり反響はないだろう。   

>「般若心経は非科学的だから読むのをやめるべきだ」と言っても「非科学的なのは当然だ」と受け流される(むしろ「般若心経と量子力学は同じ真理を語っていた」と言ったほうがインパクトがあるはずだ)。  

 

科学は事実に立脚した哲学 (考え・非現実) ですね。歌詠みは気分・雰囲気・感情の表現であり意味がない。趣味には論拠がない。There is no accounting for tastes.       

 

>信仰を中心とした宗教文化とそうでない文化では、無神論者が持つ意味も大きく異なるのである。   

 

そうですね。    

 

>---------- 岡本 亮輔(おかもと・りょうすけ) 北海道大学大学院 教授 1979年、東京生まれ。   

>筑波大学大学院修了。   

>博士(文学)。   

>著書に『聖地と祈りの宗教社会学』(春風社)、『聖地巡礼―世界遺産からアニメの舞台まで』(中公新書)、『江戸東京の聖地を歩く』(ちくま新書)など。   

>近刊に『宗教と日本人 葬式仏教からスピリチュアル文化まで』(中公新書)、『創造論者vs.無神論者 宗教と科学の百年戦争』(講談社選書メチエ)ほか。   

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閲覧数116 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/09/29 21:53
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