>朝日新聞デジタル >石破氏「国民のシンパシー得られぬ」首相批判の麻生氏に説明求める >朝日新聞社によるストーリー・ >1日 >■自民党・石破茂元幹事長(発言録) > (政治資金規正法改正をめぐり、自民党の麻生太郎副総裁が「将来に禍根を残すような改革だけはやっちゃいかん」と述べ、岸田文雄首相の対応を暗に批判したことについて)副総裁というのは総理を支える、ナンバー2と言ってもいい(存在)。 >そういう方がこういうことを言われるからには、党内で「何でこういうことを言われたのか」ということをご説明いただいた方がいい。
そうですね。麻生氏はできるだけ分かりやすく説明すると良いですね。
> 何で禍根を残すような改革になるのか、世の中の人はなんだかよくわからない。
政治改革は難しい。政策活動費の廃止とか政治献金の禁止を野党は言っているが、国民としては全部表に出してくれればそれでいいという考えなのだ。必要なものだったら堂々と使ってくださいと言っている。その代わり、いろんなカラクリはなしでやってほしいという単純な話です。だのに、与党は10年後に領収書を公開するという。語る側も聞く側もその場の頓智問答に打ち興じてわが身を案ずる余地がない。わが国はさながら子供の世界である。
>プロセスがよくわからないままに、何だか(麻生氏が)激怒しているとか、(首相と麻生氏が)口もきかないとか、そういう状況というのは、あんまり国民のシンパシーを得られるとは思わない。
そうですね。論理が先立たず、感情が先走っているのでしょうかね。あっけらかんとした世界の中でドライに割り切るセンス (判断力) が必要ですね。
> (地方組織から首相への退陣要求などが相次いでいることについて)最高意思決定機関である党大会というのは簡単にできない。 >それに代わる両院議員総会で侃々諤々(かんかんがくがく)の議論があって、地方と中央がもう一回、一体感を取り戻していくことが、何々政権だろうがなんだろうが、地方組織が自民党を信じられる、そういうのを構築していくことが大事ではないか。
日本人には世界観が無い。だから、個人的な世界観比べの議論が出来ない。自他共に ‘あるべき姿’ の世界がおざなりにされている。政治には未来の先取りが必要である。政治家には政治哲学が必要である。
>(BSフジの番組で)
我が国には社会の木鐸 (ぼくたく: 世の人を教え導く人) が必要である。わが国のジャーナリストはその要請に応える必要がある。事実の山と木鐸不在だけがあったのではわが国は立つ瀬なし。‘それがどうした’‘それでどうした’の問いに答えが出せない。我々には絶望の未来が待っている。今こそ我が国民の自覚すべき時である。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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