2024年09月06日(金) 

 

 

>東スポWEB   >舛添要一氏 自民総裁選で林芳正氏と茂木敏充氏が不人気な理由ズバリ「愚民に頭を下げないから」   >東スポWEBによるストーリー・   >10時間・   

>元東京都知事で国際政治学者の舛添要一氏が5日までに自身のユーチューブチャンネルを更新。   

>自民党総裁選(12日告示、27日投開票)に出馬を表明している茂木敏充幹事長と林芳正官房長官についてコメントした。   

>茂木氏と林氏はともに東大卒でハーバード大学に留学しており「優秀であることは誰も文句の付けようがない」と評価する一方で「2人は残念ながら人気がないんですよ」と惜しんだ。   

>報道各社の世論調査で支持率は低迷。   

>大衆の支持がない理由について「昔は、こういう人(優秀な人)に引っ張ってもらいたいと思うんですけど今はねたみ、そねみの対象になる」とマイナスに働いているという。   

 

そうですね。日本人は序列メンタリティに囚われていますからね。妬み・嫉みは多いですね。      

 

>SNSで言いたい放題の状況にも苦言を呈する。   

>「自分がみんな偉いと思っている、SNSを使っている連中は。   

>自分よりはるかに優秀なのが出てくると反感しか持たない。   

>愚民ですよ。   

 

そうですね。  

 

>愚民に頭を下げないと選挙に通らない。   

>だけど彼らは愚民には頭を下げないから嫌わるんですね」と述べた。   

 

そうですね。   

 

>「林さんとか茂木さんが愚民の票が取れない。   

>だから小泉さんとか。   

>ああいう人気者が出ると取れるということで、そっちに流れていく。   

 

日本人は気分・雰囲気・感情に流れますね。   

 

>こういう民主主義でいいのかなぁ」と嘆いた。   

 

それは衆愚政治ですね。   

 

>最後に「やっぱり私は林さんとか茂木さんが総理になって日本を導けるような、そういう社会にしないと思っております」と期待を寄せた。   

 

そうですね。あなたは ‘他力本願・神頼み’ ですか。   

日本人は思考を停止している。それで、自分自身の意見を持たない。マスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら情報を流しても、それが社会の木鐸 (世人を教え導く人) の役割を果すことはない。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、(角界のように) 勝負の成績が用いられるが、近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから、わが国では難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 序列順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは大切な個性の抹殺に手を貸しているのである。  

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら日本人は ‘序列なきところに礼儀なし’ になる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位の通用する所に限られている。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は家族制度・天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしていなくてはならない。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。国民は思考を停止しているからである。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。   

 

政治には未来社会の先取りが必要である。しかし日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語には存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、会社では定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。議員は十把ひとからげの扱いになっている。義理が廃ればこの世は闇だ。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の機会を得ることは難しい。   

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数26 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2024/09/06 11:04
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