>現代ビジネス >日露戦争の「終盤」を見るとわかる…「明治のリーダー」と「昭和のリーダー」の「決定的なちがい」 >講談社文庫出版部の意見・ >10時間・ >司馬遼太郎の見識 >2020年代に入ってから、疫病に戦争と、さまざまな災厄が世界に降りかかっています。 >少し目線を高くして、巨視的にものごとを見る必要性や、「歴史に学ぶ」必要性を感じる機会が増えたという人も多いのではないでしょうか。 >「歴史探偵」として知られる半藤一利さんは、なぜ日本が無謀な戦争に突っ込んだのかについて生涯にわたって探究を続けた作家・編集者です。 >半藤さんの『 人間であることをやめるな 』(講談社文庫)という本は、半藤さんのものの見方のエッセンス、そして、歴史のおもしろさ、有用性をおしえてくれます。 >本書には、作家・司馬遼太郎の見識の鋭さを紹介する章があります。 >司馬が『坂の上の雲』に記した名フレーズを、その歴史的背景をおぎないつつ解説するという趣向です。 >たとえば、日露戦争の終盤、日本側がなんとか戦争を終わらせようと努力する様子が描かれている部分を引用したあと、半藤さんは、明治と昭和のリーダーシップのちがいについて、このように書きます。 >*** >(一九〇五年)三月十二日、ロシアでは、ニコライ二世臨席の御前会議において、ひきつづき戦争を継続することが決定されている。 >海軍大臣は、バルチック艦隊が必勝を期して東航をつづけ、闘志満々であることを報告する。 >陸軍大臣もまた怪気炎を吐く。 >「歩兵六十コ師団以上を増強する準備が着々と進められております。 >海軍以上に必勝の自信、いまこそわれにありであります」。 >ニコライ二世はいとも満足げに断乎戦えと激励した。 >もちろん、そんなこととは知りうべくもない日本軍の大山巌満洲軍総司令官は、三月十三日、大本営に一通の意見書を送っている。 >その要領はわかりやすくすればざっと左の如し。 >〈奉天戦後の戦略は、政略と一致するを要す。 >戦略からいえば、軍はハルビンを屠り、黒龍江までも進撃すべきであろう。 >しかし、国家の政策からみれば、今後の攻勢長駆は無用の行動に過ぎず、予想さるる幾万の犠牲も無意義に終わるというべきである。 >攻撃を続くるにも、持久戦をとるにも、兵力も兵站も大準備が必要である。 >故にまず国策の方向を定むるを先決とす。〉 >賢明なるものがこの電報の紙背を読めば、戦力を勘案すれば今後の戦勢は容易ならず、攻勢はもはやこれまで、「講和への道」を拓くのが緊要であることを、大山が訴えているとわかる。 >クラウゼヴィッツの名著『戦争論』にいう「戦争は政治の延長であり、単に政治の手段に過ぎず」そのことを、大山はいっているのである。 >(中略) >さらに蛇足を加えれば、明治のリーダーと昭和のリーダーとの違いを読みとってもらえれば、それこそ最高である。 >自分たちのおかれた立場を厳密に認識し、つまりリアリスティックに国力や民力を考慮し、希望観測的な判断、あるいは蜃気楼的な夢想から一〇〇パーセント解き放されている。 >けっして自分たちが「無敵」との幻想を抱かなかった。 >それが明治の国家指導者であった、ということを。 >それにひきかえて、昭和の政治家も軍人も、そうしたリアリズムとは無縁であった。 >ひたすら想像的楽観主義に酔い、「必勝の信念」を頼みの綱に、連戦連勝で戦争は終わるとの空中楼閣を描いた。 >理性的かつ合理的かつ冷静に、落ち着いて国力を考えることをしなかった。
そうですね。 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである' (昭和天皇)
>「人間、一度は、清水の舞台から飛び下りる猛勇を持つことが大事なり」という近衛文麿総理をけしかけた東條英機陸軍大臣の言葉が、それをいみじくも象徴する。
意思決定 (理性判断) でなくて、恣意決定 (盲目の判断) ですね。
>ましてや、どうやって戦争を講和に導くか、ほとんど一顧だにしなかった。 >ドイツがヨーロッパで勝ち新秩序をつくる。 >「バスに乗り遅れるな」で戦争に踏み切り、見事に勝って東亜に新秩序を形成し、日本がその盟主になる。 >要するに、人の褌で相撲を取る、それだけであった。
そうですね。他力本願・神頼みですね。
>これを愚かといわず、ほかの言い方があるとは思えない。 >真珠湾攻撃成功の報告を聞いた朝、永野修身軍令部総長は喜色満面でいった。 >「そうれみろ、反対する奴も多かったが、戦争はやってみなければわからないじゃないか」 >まったくガッカリさせられる。 >昭和の指導者の情けなさ、まだまだ山ほどもあるが、書くのが楽しくなくなっていくばかりである。
そうですね。 好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦 (いくさ) でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日 残念ながらわが国は原爆開発においてアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕はまぬがれた。 めでたしめでたし。 太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。 太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。 日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。 人の命はどのように考えられていたのか。 ‘ぬちだ宝’(いのちは宝)ではなかったか。
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日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく: 世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望が無い。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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