>産経新聞 >占領が終わる暗黒時代の苦しい経験をいかに生かし得るか 昭和27年「天鼓」プレイバック「昭和100年」 >14時間・ >日本歴史の暗い谷間七年が終つて、再び本然の日本への歩みがはじまる。 >永い歴史からいえば一瞬の短かさであるかも知れないが、日本歴史の最大の転換期を画する一瞬であつたし、またそうでなくてはなるまい。 >▼米軍の進駐と占領政策が意想外に平穏にわが国民の協調裏に行われたことについて、マ元帥やリ大将の賞賛に拘らず、米国を含む多くの外国人は、やはり日本人はずるく賢くて巧みに超国家主義勢力を温存し、占領終了と共に「逆コース」に拍車をかけるだろうと危ぶんでいるようだ。
そうですね。日本人は無哲学・能天気でつかみどころがないからですね。
>▼左翼全盛の時代には「保守反動」のレッテルをこわがり、反共時代となると、「赤」の刻印を怖れ、戦前、戦中は「非国民」の一言で自由主義者まで迫害した滔々(とうとう)たる付和雷同性――心では反対意見をもつ人々もあえて身命を賭して戦う勢力を結成することが出来なかつた。
そうですね。日本人は無哲学ですからね。身命を賭すことなどありませんね。
>▼この民族性の一面が多数の外国人にとつて占領政策への面従腹背を危惧させる理由ともなり、或いは左に右に行きすぎて、遂には「話せばわかる」をけとばして「黙れ」に走る危険性となる。 >そして世界の動きを知らぬ孤立独善思想が加わつて大きな破綻をひきおこしたのである。
日本人は無哲学・能天気であるから、孤立独善は避けられませんね。
>▼占領政策は本質的には手厳しかつたに拘らず、一般には寛大だつたとの印象が強い。 >占領下にも毅然たる自負と誇りを堅持しているドイツ国民を思うにつけても、果して暗黒時代の苦しい経験をいかに生かし得るか、世界の注視をあびて立つわれわれの課題は大きい。
そうですね。 ヒットラーは勝算を見込んで (理性判断) 戦争に突入した。 日本人は勝算を見込むことなく (盲目の判断) 戦争に突入した。 マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。 ‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。 指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考えを植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下) マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。だが、日本人は彼が考えるような知恵遅れの民族ではない。日本語文法には時制 (tense) というものが無いのである。待てど暮らせど非現実 (考え・哲学) を搭載する構文は日本人の口からは出て来ない。つまり自己の考えの内容が出て来ない。これが英米人の子供の行く末と違う所である。
>(昭和27年4月28日) >※当時、産経抄は天鼓と呼ばれていました
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々の考えの内容は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
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