2025年04月11日(金) 

 

>産経新聞   >「誰もがマイノリティーに」東大で入学式 各大学トップがZ世代に送る内向き打破の言葉   >1時間・   

>各地の大学で入学式が行われ、新入生が学生生活をスタートさせた。   

>各大学のトップが贈ったメッセージに共通するのは、挑戦を恐れず「外」へと向かって行動すること。   

>ともすれば、安定を求めて「内」を向きがちだといわれる若い世代に、知的冒険の大切さを伝える。   

>京大総長「恐れずに幸運つかんで」   

>「グローバル化と多様性の時代では、誰もがマイノリティーになりうるという現実に向き合う必要がある」   

>東京都千代田区の日本武道館で11日に開かれた東京大の入学式。   

>3122人の新入生の前で、OBで工学者の藤井輝夫総長はこう式辞を述べた。   

>現在の大学生は国内経済が低迷する中で生まれ育った「Z世代」。   

>国際的な競争が激化し、新たな挑戦が求められる時代にあって、リスクを避ける安定志向が強く、海外などへの関心も薄いと指摘される。   

 

それは島国根性ですね。   

 

>藤井総長は、生成AI(人工知能)などの発達で社会変革が急速に進む中、相対的にマイノリティーの立場になりやすい若者に、「内向き」の殻を破ろうというメッセージを込めた。   

 

そうですね。考えの内容は一人一人違いますからね。自分を大切にしましょう。      

 

>「新たな大学生活は、これまでの生活に比べてはるかに多くのさまざまな出会いに満ちている」   

>アジアの大学でトップクラスのノーベル賞受賞者数を誇る京都大では、OBの医学者、湊長博総長が7日の入学式でこう語った。   

>「先入観にとらわれることなく恐れずに向かっていき、一人一人にとってのセレンディピティ(思いがけない幸運)をつかんで」

 

他人の受け売りのみを鍛えて来た学生たちには大変なことですね。   

 

>世界トップレベルの研究力を目指す「国際卓越研究大」の認定第1号として4月に新たなスタートを切った東北大では、「変革」がキーワードに。   

>OBの医学者、冨永悌二総長は3日の入学式で「日本の大学改革を先導し、日本が世界と並ぶ成長戦略を描くための変革の結節点となる」と強調。   

>「MOVER AND SHAKER(行動者と変革者)となって成長していくことを期待している」と呼びかけた。   

 

日本人には意思がない。意思の無い人間には責任がない。だから指導者にはふさわしくない。   

'為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)         

 

>ZEN大、新しい挑戦を呼びかけ   

>私立大でも、激動の時代に臨む姿勢に力点が置かれた。   

>「世界がボーダーレスとなり、日本であろうと、海外であろうと、さまざまな人と一緒に仕事をしたり、共に生活をすることは不可欠になる」。   

>1日に入学式を行った早稲田大では、OBの政治学者、田中愛治総長がこう話し、「そのような環境では、自分と異なる立場の人々のことを思いやる気持ちが必要。   

>そのためにも、しなやかな感性を育んでいただきたい」と続けた。   

>慶応大も1日に入学式を挙行。   

>OBの物理学者、伊藤公平塾長が「大学を起点とする青春が一生涯にわたり、一身独立するための学びと挑戦の期間であり、世界に目を向ける期間だ」と述べ、創設者の啓蒙(けいもう)思想家、福沢諭吉の「学問のすゝめ」の文言を引用して視野を広げるように促した。   

>4月に開学した通信制大学のZEN大は全ての講義をインターネットで受けられ、社会人の学び直しや不登校の増加といった現代のニーズをくみ取った学びの場となる。   

>リモート併用の入学式を9日に行い、数学者の若山正人学長が「困難への遭遇は避けられない。   

>しなやかな心を持ち、社会とのつながりも意識に置き、失敗を恐れず新しいことに挑戦して」と語った。   

 

序列社会の序列順位の競争は没個性の競争であるから、減点法に成りますね。消極的である方が有利に作用しますね。   

 

>(楠城泰介、宮崎秀太)   

 

子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。

英米流の高等教育は子供に哲学を獲得させるための教育である。

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。

子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。

 

英語の文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。

未来時制の構文を使えば自己の意思を表すこともできるようになる。    

自己の意思を表すと加害者意識も経験することになる。

それが高じて罪の意識も理解できるようになる。罪の告白も可能になり入信する人もいる。   

深い反省にも陥ることもあるので原因の究明が行われる。     

事故の原因究明がうやむやにはできない様な心構えになる。

 

魂の救済を必要とする人も出て来る。   

贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。   

こうした過程を経て浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。   

だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。   

 

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。

日本語は現実の内容だけを話す言語である。写生画の言語であるとも言われている。   

日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。   

だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。   

嘘ばかりついていては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。  

 

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育の賜物である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。   

 

当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。   

難関出身者が序列社会で優位に立つことばかりを気にしている大型の子供たちである。

世界に対する注意力不足で井の中の蛙になっていて、国際取引で印欧語族を取引相手にして苦戦を強いられることになる。     

 

「中国は悪だが、日本はもっと邪悪だ、中国にダンピングや過剰生産の方法を教えたのは日本だ」「日本は1945年から何も学んでない。米国がいかに優れていて、寛大なのか、分かっていない」 (クリフス社のゴンカルベスCEO)   

日本人には現実があって非現実がない。日本人の教育は戦前戦後を通じて実学 (技術) があって、虚学?(哲学)がない。だから‘あるべき姿’を追求する学問がないので高尚な議論が出来ない。欲得ずくのかけひきしか考えていない。それで日本人は相手からの信用が得られない。  

日本人には意思がない。だから加害者意識も無く、罪の意識もない。在るのは被害者意識だけである。天真爛漫としていて、自分自身が邪悪などとても信じられない。だから子供じみている。  

 

ヒットラーは勝算を見込んで (理性判断) 戦争に突入した。

日本人は勝算を見込むことなく (盲目の判断) 戦争に突入した。

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。 

指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考えを植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)  

マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。だが、日本人は彼が考えるような知恵遅れの民族ではない。日本語文法には時制 (tense) というものが無いのである。待てど暮らせど非現実 (考え・哲学) を搭載する構文は日本人の口からは出て来ない。つまり自己の考えの内容が出て来ない。これが英米人の子供の行く末と違う所である。    

 

 ‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)     

なるほどこれでは日本の大人が子供じみて見えてもしかたがないですね。わが国の学歴社会は序列社会の言い換えにすぎない。   

「うん、頭はいい。しかし本当に信頼できるかね」 (フランク・ギブニー) 

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)   

日本人の無哲学・能天気はついに国際的にも知られるようになったようですね。   

 

日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく:  世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望が無い。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数39 カテゴリアルバム コメント1 投稿日時2025/04/11 21:43
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コメント(1)
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  • 2025/04/12 12:52
    Congratulations to the new students! It's inspiring to see universities encouraging students to embrace challenges. The world needs innovative thinkers, not those stuck in a rut. Reminds me of the thrill of mastering a difficult trick in Snow Rider, constantly pushing boundaries and learning new skills. Let's all aim for that level of fearless exploration in our lives and studies!
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