

>現代ビジネス >日本の「国際連盟脱退」の「本当の意味」を知っていますか? じつは脱退には「意外な目的」があった >現代ビジネス編集部によるストーリー・ >48分・ >2025年は「昭和100年」にあたります。 >昭和史のエキスパートである学習院大学教授・井上寿一さんの新刊『新書 昭和史』は、昭和元年から始まって現代に至るまでの100年の歴史を描いたもので、発売後、早くも話題を呼んでいます。 >昭和史のプロは、あらためて長いスパンで昭和史を描いてみてなにを感じたか。 >同書をめぐって、井上さんにインタビューしました。 >「十五年戦争」という呼び方の問題 >——我々一般の人間からすると、1931年に満州事変が起きたあと、そのまま太平洋戦争までなだれこんでいくというイメージが強いのですが、井上先生は決してそういうわけではないという見方をしておられます。 >井上:そうですね。 >以前は、「十五年戦争」という言い方がされていました。 >満州事変が起きてから足かけ15年間、日本はずっと戦争していて最終的に負けたという考え方です。 >戦前昭和は「暗い谷間の日本」というイメージで、危機がいくつも折り重なって、非常に貧しく暗い。 >また軍部が威張っている。 >かつてはそう思われていたけれど、実際にはそうではないですよね。 >——たとえば、満州事変で一度軍部が暴走したあとに、いわゆる平常時に戻るというようなことがあったということでしょうか? > その象徴的な出来事はありますか? >井上:象徴的なのは、外交でいうと「日中停戦協定」が1933年に結ばれています。 >満州事変はここで大きな区切りがついたとするもので、日本側は「万里の長城より南側の中国本土には手を出しません」としました。 >同じ年には、国際連盟からの脱退を通告しています。 >日本はこれによって「国際的な孤立」に進んだといまだにイメージされていますが、実際にはあえて日本が出ていくことによって、国際連盟との関係が修復していく側面があるんです。 >さらに、実際に脱退したと言っても、2年間はまだ国際連盟にとどまらないといけないっていう連盟規約になっていて、本当に脱退するのは2年後でした。 >その2年間の間に何か頑張れば、関係の修復のやりようもありました。 >——国際連盟を脱退することによって、連盟と日本の関係を回復するっていう流れがあったのですか? >井上:そうですね。 >よく「対日非難勧告が『42対棄権1』で採択された」と言われますよね。 >でもあれは、満州事変を巡って「日本に問題がある」と言っているだけです。 >日本に問題があるからといって「懲らしめてやろう」といった意味ではないわけです。 >だから日本にとって厳しい勧告が出たとしても、日本は「受け入れません」と言うだけで終わる。 >実際にほかの条件が許せば、本当にそのようにして終わるはずだったのです。 >全権大使の松岡洋右たちは、国連に行く前は「脱退しない」「非難勧告が出ても日本は受け入れないと言うだけでいい」としていた。 >ところが、すこし細かくなりますけれども、陸軍は陸軍で松岡らとは別の戦略を持っていました。 >満州国での地歩を固めるために「熱河作戦」という作戦を実行しなければいけないとなっていたのです。 >熱河作戦をやるかやらないかはもっぱら軍部が決めることなんですけれども、タイミング悪く、国際連盟で審議しているさなかに松岡たちは「陸軍が熱河作戦をやるかもしれない」という情報をつかむのですね。 >国際連盟の規約には「対日非難勧告に日本が不服で、新たに戦争を仕掛けると認定されたら、このときは日本に経済制裁をする」とありました。 >松岡をはじめ外務省の人たちは条約・協定の解釈のプロなので、彼らから見ると、もしも対日非難勧告が出て「日本は不服です」と言ったあとに熱河作戦をやってしまうと、「これは満州国軍と日本軍が共同して満州国内の匪賊を討伐しているんです」と言っても、国際的には通じない。 >これはまずいということで、外務省のほうが自ら「それならいっそ脱退します」という方針をとるのです。 >日本が自ら脱退することによって、国連側から「けしからんから脱退を通告する」などと言われないようにする。 >国連側は、「自分で脱退していくのならそれでいいじゃないですか」という話になるわけですね。 >同じころにヒトラーのドイツも国際連盟を脱退していきます。 >ヒトラーのドイツは国際連盟のすべての会議から脱退していくんですけれども、日本は、非加盟国でも参加していい会議には、そのまま残るんですね。 >軍縮会議にも国際経済会議にも残ります。 >そもそもアメリカだって連盟に加盟してないんです。 >1933年、日本の国連の脱退後に、国連に加盟していないアメリカと、国連脱退を通告した日本が、ロンドン世界経済会議っていうところで共同歩調を取っている。 >こうした事情に鑑みるに、1933年というのは、対外危機が沈静化していく時期と言えます。 >脱退通告することによって、かえって対外危機が沈静化に向かうという点で、1933年は非常に大きな区切りなのです。 >そのようにして対外危機が沈静化していくと、国内では、「危機が鎮静しているときになぜ軍拡なのか」ということで、政党勢力が復権していきます。 >それに応じて国民の有権者の中でも「もう一回、政党内閣府復活させよう」という雰囲気が醸成される。 >ただし、かつての二大政党制は、党利党略と足の引っ張り合い、政治的なスキャンダルまみれなので困るという感覚もある。
日本人には政治哲学がないので党利党略合戦しかすることがありませんね。
>もうすこし違う組み合わせ方で、復活をしてほしいと思うわけです。 >総選挙の結果から見ると、民政党と社会大衆党が何かしら連携して、比較的保守的な政友会は野党にとどまるとか、あるいは危機がまだ去ったわけではないので、政友会とも何かしら連携して、政党がひとまとまりになって、政党内閣復活させなきゃいけないというような動きもあった。 >こうした1930年代の動きは長らく知られていなかった……というか、事実としてはあったんだけれども、重要性があまり認められていなかったところがありますよね。
そうですね。チャンスをモノにできなかったということですね。
>私も及ばずながら私も何十年と研究をして、ほかにも似たような研究がいろいろ出てきて、今ではもう「十五年戦争」という考え方はあまり使われなくなりました。
そうですね。それは学問の進歩ですね。
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