>日刊スポーツ >古市憲寿氏、赤沢経済再生相の「格下」発言に「なんでそんな、自分達を卑下するんだ」 >日刊スポーツ新聞社によるストーリー・ >1日・ >社会学者の古市憲寿氏(40)が18日放送のカンテレ「旬感LIVE とれたてっ!」(月~金曜午後1時50分=関西地区)に出演。 >日米の関税をめぐる協議で、赤沢亮正経済再生担当相が16日(日本時間17日)に米ワシントンでトランプ大統領と会談した際の発言について私見を述べた。 >ジャーナリストの岩田明子氏(55)は、今回の交渉について「まずは無難な滑り出しだったとは思いますけれども、ただ同盟国であるにもかかわらず、夜中に突然、ツイートで『トランプ大統領も協議に出席する』という表明があって、日本政府がすごく慌てましたよね。 >こういうところを見ると、ちょっと対等ではないな、という風に思わざるを得ないですね」と語った。
そうですね。日本人は序列人間ですからなかなか対等には成れませんね。
>今後の協議については「今月内にまた協議がありますので、かなり頻度を上げて協議が進んでいくと思いますし、あと閣僚だけでなくて、事務レベルでも協議を進めるというので…もうちょっと厚い層で行うということですので、割とハイピッチで進んでいくんではないのかなと思いますね」との見方を示した。 >小籔千豊(51)は、「ちゃんとした交渉をする時、言うことをはっきり言ってくる人の方が僕は信用できるんですよ。 >はっきり議題をパーンと言わんと、ごまかしごまかし、『あの人ともつながりあるんで…いやぁ小籔さんと一緒の大阪出身なんですよ』って、ぼやかしながら言うてくる人って、結局、僕は信用できない」と言う。
そうですね。
>トランプ大統領との交渉について、「こっちもガンガン言うたらええと思うんですよ。
そうですね。協議ですからね。
>(トランプ氏は)『俺はガーンと言うてええけど、お前は言ってくるな』ということは、たぶん言ってこないような気がするんで、『日本としては、こう。 >それは無理』とか、ちゃんと仲良くしながらも、言う事はパーンと言うて欲しいな、と前から思ってたんで。 >今回を機にトランプさんに『うちはこうです。 >それはいけるけど、これは無理です』とか、ガンガン言うて欲しいなと思います」と訴えた。
そうですね。
>これらを受け、古市氏は、赤沢氏の「格下も格下」との発言について言及。 >「赤沢大臣の『格下も格下』という言い方はないですよね。 >なんでそんな、自分達を卑下するんだって話ですよね。
我が国では卑下は謙譲の美徳に繋がりますね。礼儀正しい日本人かな。
>あくまでも日本とアメリカは対等な同盟国であるのに、そこの中でも交渉を、たまたまアメリカ側は大統領で、こっちは大臣でしたけど、本当は対等な国として交渉に臨んでいるわけなのに、自分のことを『格下』って言う感覚は本当に分からないんですよね」と述べた。
序列社会の人間は、なかなか ‘ため口’ 社会の習慣に馴染めませんね。
>着席するトランプ大統領の隣で、赤沢氏が笑顔を浮かべて立っている写真についても「このトランプ大統領と赤沢大臣が並んだ写真も恥ずかしいなと思って…。
序列メンタリィティに支配されている人間の観察には恥の文化がしみ込んでいるようですね。
>別に観光に行ったわけじゃないんだから、こんな笑顔で、トランプさんが座ってて赤沢大臣は立っていますけど、こんな、日米の力、パワーバランスの差を見せつけられるような写真もないと思うので、アメリカにしてやられたんじゃないかな、という気がすごくいたします」と指摘していた。
序列人間である日本人の頭の中では、’上と見るか・下と見るか’ の思惑は何よりも気にかかることのようですね。
日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。
日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。
日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。
日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の機会獲得は難しい。
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