石原壮一郎氏 |
> 全国で増えているクマによる被害。 >情報番組やニュースなどでは連日、報道が過熱している。 >そんな事態に「コロナ騒動」との共通点を指摘するのがコラムニストの石原壮一郎氏だ。 >われわれはこの2大騒動の共通点に何を学ぶか。 >石原氏が解説する。 > * * * > 日本各地でクマが猛威を振るっています。 >報道も過熱する一方で、ワイドショーやネット記事はもちろんのこと、NHKの全国ニュースにもクマが登場しない日はありません。 >こんな怖い被害があった、こんなところで目撃された、こういうことに気をつけるべし、政府は何をやっているんだ……などなど、たくさんの情報が錯綜しています。 >「クマ騒動」が盛り上がっていく中で、「あれ、この感じ、たしか前にも……」と既視感を覚えている方も多いのではないでしょうか。 >そう、新型コロナウイルスが猛威を振るい、日に日に報道が過熱していた「コロナ騒動」の頃と、何となく雰囲気が似ている気がしないでもありません。
そうですね。
> もちろん、クマとコロナはぜんぜん違います。 >クマは目に見えるけど、コロナウイルスは見えません。 >クマは鳴きますが、コロナウイルスは鳴きません。 >頭文字はどっちも「カ行」ですが、クマは二文字でコロナは三文字です。 >ぜんぜん別モノなのに、なぜ既視感を覚えてしまうのか。
騒いでいるのが同じ日本人ですからね。
>その理由を探ってみましょう。 >何が「正解」かわからない。冗談ネタにすると「不謹慎だ!」と怒られる > あらためて考えてみると「クマ騒動」と「コロナ騒動」には、いくつかの共通点があります。 >たとえば、このあたり。 >「増えた原因にせよ発生した経緯にせよ被害や感染を防ぐ方法にせよ、何が『正解』かわからないので、いろんな人がいろんなことを言い出す」 > そして、どちらも一部の人は、自分とは違う意見をムキになって否定したがります。
専門家の意見が大切ですね。
>人間というのは、スキあらば「オレのほうが知っている」というマウントを取ろうとしたり、誰かを攻撃することで恐怖心を紛らわせたりしたがるのかもしれません。
そうですね。感情的な人間ですね。
>「うっかり軽口や冗談のネタにすると、待ち構えていたかのように『不謹慎だ!』『被害に遭っている人のことを考えろ!』という"正義の鉄槌"を下されてしまう」 > 仮に今、SNSに「住民の恐怖心を和らげるために、東北で『くまのプーさん』の巡回上映会を開催しようwww」なんて書き込んだら、高い確率で炎上するでしょう。
そうですね。クマモンやプーさんは身を潜めていますね。金太郎も出てこない。
>世の中には「正しい側」から「正しいこと」を言うのが好きな人が少なくありません。 >「何がきっかけなのか何が悲しいのか、一部に極端な主張を持つ人が現われる。 >その人たちは似た者同士の輪の中で結束を固め、どんどん頑な&凶暴になっていく」 > 誤解がないように申し添えますが、コロナ騒動における「極端な主張を持つ人」とクマ騒動における「極端な主張を持つ人」が、重なっていると言いたいわけではありません。 >ただ、共通する雰囲気とかニオイとかを感じてしまうのは、気のせいでしょうか。
気のせいではないですね。一緒になって騒ぎたい人たちがいますね。
>「どちらも"当事者"ではない人ほど、声が大きい。 >しかもその声は、自分は大切なことを伝えているという認識とは裏腹に、うるさいだけで誰の役にも立たない」
それは残念なことですね。
> 今、クマ騒動で大きな声を上げているのは、おもにクマが出没しない地域に住む人たちです。 >コロナは「誰もがリスクがある」という点がクマとは違いますが、誰かや何かを声高に批判したり恐怖心を訴えたりしていたのは、比較的安全な立場にいる人たちでした。 >今後も出てくる「新しい恐怖」に私たちはどう立ち向かえばいいのか > そのほか「より用心深くという細かいノウハウはどんどん増え続け、お役所も個人も自粛ムードがどんどんエスカレートする」という共通点もあります。 >「こんな対策もある、あんな方法もある」と言っているほうが賢そうに見えるし、「もし何かあったら」「もし批判されたら」という印籠の前では誰もがひれ伏さざるを得ません。 > 今後予想されるのが「喉元を過ぎると熱さを忘れて、あいかわらず危険性は十分にあるのに、世の中の関心が離れて話題にならなくなる」という共通点。
そうですね。
>どんな問題にせよ、喉元を過ぎると見事に忘れられてしまうとなると、話題になっているときに抱いている恐怖心や警戒心は、もしかしたら抱く必要がないということでしょうか。
そうですね。歌詠みは日本人の得意な分野ですからね。 気分・雰囲気・感情は歌詠みの題材となるが意味がない。 趣味には論拠がない。There is no accounting for tastes.
> 忘れっぽいのが人間のサガとわかってはいても、クマなりコロナなりといった「怖いもの」に注目が集まると、ひとしきり騒がずにはいられません。
それは歌詠みの性質でしょうね。
>ただ、少なくともクマ騒動に関しては、安全な地域でテレビやスマホの画面を見ながら「うわー、怖い」と言っているのは、しょせん娯楽として消費しているに過ぎないことは自覚しておきたいものです。
そうですね。
>「クマ騒動」と「コロナ騒動」の両方を経験した私たちとしては、今後も次々に出てくるであろう「新しい恐怖」に対して、どう立ち向かえばいいのか。
自分自身で実体を観察することが大切ですね。専門家の意見を聞くことも必要ですね。
> 今こそ噛みしめたいのが、コロナ禍の頃によく言われた「正しく怖がる」というフレーズ。 >やみくもに騒ぐほうが、目先の充実感や達成感は得られますが、あとで振り返ると「なんであんなに騒いでいたんだろう」と思ってしまいます。
そうですね。それは空騒ぎですね。
> ちょっと恥ずかしくなるだけならまだしも、誰もがひとつ間違えると、他県ナンバーのクルマに石を投げつける的な「人としてどうかしている行為」をしでかすかもしれません。
そうですね。過激派の過ちですね。
>己の「正義感」や、その時々の「正しい意見」がいかにアテにならないかも、ふたつの騒動の共通点を通じて十分に学ぶことができます。
そうですね。付和雷同を慎みましょう。リーズン (理性・理由・適当) がないので仕方がないですかね。
> 私たちは恐怖心や怒りや敵愾心を煽られると、我を忘れてヘンな考えや行動に走ってしまいがち。
そうですね。日本人は無哲学・能天気ですからね。
>猛獣やウイルスだけでなく、ニュースを見聞きして激しく感情が揺さぶられたときは、くれぐれも気をつけたいですね。 >たとえば……いや、話が長くなりそうなので、各自でイメージをふくらませてもらうことにして、このへんで失礼いたします。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は他人の受け売りばかりを練習してきた。自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 頭を使うということは暗記力を示すことではなく自己の見解を明らかにすることである。高等教育機関に在籍して自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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