揺れるコメ政策 |
>TeNYテレビ新潟 >【特集】揺れるコメ政策 主食は…減反と戦った生産者がいま思うこと コメクライシス③ 《新潟》 >TeNYテレビ新潟の意見・ >21時間・ >シリーズ最終回は“揺れるコメ政策”についてです。 >政府は長年続いた減反政策を経て、2025年夏ごろ“増産”に舵を切りました。 >しかし、2か月余りでその方針を見直し“需要に応じた生産”を表明。 >猫の目のように変わる農政に生産者は複雑な思いを抱えています。
そうですね。瑞穂の国の異変ですね・
>■「残酷」だった“減反”……専門家は“生産調整”のリスク指摘 >2025年も猛暑や雨不足を乗り越え育ったコメを送り出しました。 >魚沼市の関 隆さん。 >90ヘクタールの田んぼでコメを作る大規模農家です。 >農家を始めた当初はわずか3ヘクタール。 >ここまでの道のりは平たんではありませんでした。 >最も大きな壁となったのが“生産調整”いわゆる“減反”だったと振り返ります。 >〈魚沼市のコメ農家 関 隆さん〉 >「生産調整(減反)というのは残酷でした。 >要するにコメは作るな、増収するな、規模拡大の意欲、それから増収技術、農家はそれをなくしてしまった。 >それが現在に至ってこういう状況になってるんで、それを立て直すには難しい」 >1970年、日本が高度経済成長に沸いていたこの年、ある農業政策が始まります。 >食生活の変化などからコメ余りの時代を迎えたため国が農家に作付面積を減らすよう求めたのです。 >生産量を抑え、米価を維持する“減反”です。 >農家からは激しい反対の声が上がりました。 >減反政策は2018年に廃止されましたが、その後も国は需給の見通しを推計。 >それをもとに都道府県で生産量の目安を設定してきました。 >これが、実質的な生産調整だという指摘もあります。 >国が需給の見通しを見誤ったことで起こった令和のコメ騒動。
そうですね。
>専門家は生産調整のリスクがあらわになったと指摘します。 >〈茨城大学 西川 邦夫 教授〉 >「現在、需給調整を収穫前の生産調整でやっている。 >そのリスクが高いのは今回のコメ騒動で明確になってきたので、収穫後の流通対策、作ってみて、これもいろいろ問題があるが、作ってから流通面で調整する点を重視する必要があると考えている」 >■“減反”に反対し続けた秋田のコメ農家 >2025年8月、コメ不足と米価の高騰を受け石破政権は…… >〈石破首相(当時)〉 >「コメを作るな、ではなく、生産性向上に取り組む農業者の皆様が"増産"に前向きに取り組める支援に転換する」 >事実上行われてきたコメの生産調整を見直し、"増産"に舵を切ったのです。
それはよかったですね。
>減反政策に長年、反対し続けてきたコメ農家がいます。 >〈秋田のコメ農家 涌井 徹さん(1989年当時)〉 >「本当に皆さん、どんどん、どんどん、減反進めていってね、このままいってね。 >本当に嫁さんが来るような農家できますか? >本当に自信を持ってね。 >いまの制度を続けていって、政策を続けて行って、素晴らしい農業きますか」 >十日町市出身の涌井徹さんです。 >新潟県農業教育センターでコメ作りを学びますが、当時はコメ農家が多く思うように田んぼを広げられずにいました。 >そこで、家族とともに選んだのが秋田県大潟村への入植でした。 >大規模な農業の実現へ湖を埋め立て開かれた新たな農村です。 >涌井さんは夢を実現するために国が強制していた減反には従わず、自由にコメを作ってきました。 >今では当たり前となったコメの産直や加工販売などを行う大規模農家の先駆けです。 >■魚沼市で語ったコメの未来 >2025年10月下旬。 >涌井さんは魚沼市のコメ農家・関 隆さんのもとを訪れました。 >自分と同じように大規模にコメを生産する関さんの田んぼを視察するためです。 >話題となったのは石破政権が打ち出した“増産”のこと。 >〈涌井さん〉 >「55年間ね、減反でコメを作ったら悪いと言われているような時代、そしてね、いくら作ってもいくら作っても赤字の時代ね、これじゃなくて、いまようやく次の時代がくるわけだから、まさにいまこれから。 >しかし、その増産をもってしても本当の真実は(高齢化などで)辞める農家が多すぎて間に合わないんじゃないかという心配をするのね」 >〈関さん〉 >「これ地域農業にとっては大変な問題なんだけれどもどんどん農家は辞めていく、辞めていくっていうことは(残された)田んぼが(大規模農家に)集まる。 >米価もこの高値は続かんことわかっているけど前みたいなあんなバカ安い値段にはならない」 >〈涌井さん〉 >「コメ作り農家にとっては、いま初めて規模拡大と大きな新しい農業のチャンスだ」 >歴史的な農政の転換。 >しかしこの直後、国はまた方針を見直したのです。 >■主食の未来はどうなるのか >10月21日、自民党の高市早苗総裁が憲政史上初の女性総理大臣として新内閣を発足させました。 >新たに起用された鈴木憲和農林水産大臣は石破前政権が舵を切った"増産"の方針についてこう述べました。 >〈鈴木 農水相〉 >「需要に応じた"生産"。 >これが何よりも原則であり、基本であるというふうに考えております。 >(需要がないにもかかわらず)大幅に生産を増やせば、供給過剰となって、これはマーケットメカニズムで米価は下がるわけです」 >"増産"の方針を見直し"需要に応じた生産"を表明しました。
そうですね。
>魚沼市のコメ農家・関さんはどう受け止めたのか…… >〈魚沼市のコメ農家 関 隆さん〉 >「生産と需要、バランスが取れなければ価格が変動するから需要に応じた生産というのはもっともな話。 >だけども、それはいままで50年(以上)ずっとやってきたこと。 >ここで農政が変わらないと、いままで同じことをやってきたんでは本当に取り返しがつかなくなる。 >農家数がどんどん減って高齢化してくる。 >じゃあ10年後、誰がコメを作るんだ」 >秋田のコメ農家、涌井さんは…… >〈秋田のコメ農家 涌井 徹さん〉 >「石破さんが増産という発表をして、それが今度新しい農水大臣に代わったら、いきなりね真逆の、今度はまた減反(ような政策)を始めると切り替えた。 >これは日本の農業政策、特にコメ政策の混迷の極みを大臣自らが表に出したということになる」 >減反政策に戻るのでは、という指摘に対して鈴木大臣は。 >〈鈴木 農水相〉 >「(減反政策は)全国一律で、要するに主食用のコメをこのぐらい減らしてくださいというのを国がかなり強制力を持って指導して、そういったことをやってきたのが減反政策。 >現状はどういう政策かといえば、国は全体の需給の見通しは示します。 >そこから先、各都道府県、もしくは生産者の皆様でどのぐらいの主食用の生産をするかというのは事実上、いまはもう自由になっておりますので、そういった意味で減反政策に戻るということはあり得ません」
そうでしょうね。自由とは意思の自由のことである。だが日本人には意思がない。だから自由そのものにも意味がない。不自由を常と思えば不足なし。 日本人には意思がない。意思のない人間には責任がない。責任のない人には信頼がない。信無くば立たず。(政治というものは 民 (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵]
>令和のコメ騒動が改めて浮き彫りにした様々な問題。
日本人は無哲学・能天気ですからね。変わり身の早さばかりを競っている。 ‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
>日本の農政は私たちが口にするコメの未来を守ることはできるのか。
日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。 未来の内容は非現実である。非現実の内容は日本語の文にならない。だから日本人には考えがない。一寸先は闇である。わが国には何でもある。ただ夢と希望 (非現実) だけがない。 政治には未来の先取りが必要ですね。だから政治家は無哲学・能天気ではいられない。
>残された時間は、決して長くはありません。
日本人は ‘まだか、まだか、まだか’ と時間のすぎるのを待っている。非現実が現実になるのを待っている。日本人には切羽詰まった時の行動しか考えられないからである。 阿呆は戦争大好きで亡国の精神の持ち主である。「戦は時の運」とか「戦うも亡国、戦わざるも亡国、戦わずして破るるは、国民の魂も失う真の亡国なり」という言葉があって、わかっちゃいるけどやめられない。ア ホレ スイスイ スーダララッタ スラスラ スイスイスイ 、、、、、
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は他人の受け売りのしかたを学ぶばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひ獲得すべき知性の保証です。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
|