白鵬杯 |
>時事通信 >白鵬さん、熱戦に笑顔=第16回「白鵬杯」—--相撲 >6時間 > 大相撲で歴代最多45度の優勝を誇る元横綱白鵬の白鵬翔さんが主催する相撲の国際大会「第16回白鵬杯」が7日、トヨタアリーナ東京で行われた。 >土俵では子どもたちが熱戦を繰り広げ、白鵬さんは「見ていて手に汗を握る相撲が多かった」と笑顔で話した。 >幼児を対象とした相撲教室では自らまわしを締め、四股やすり足を指導した。 > 白鵬さんは昨年6月に日本相撲協会を退職。 >現在は「世界相撲グランドスラム」構想や、相撲を五輪競技にする夢を持って活動している。 >白鵬杯最終日の8日は、新設した小中学生向けの「女子の部」を実施。
それは偉大な進歩ですね。
>「伝統文化は変化があってこそ生き残っていく。
そうですね。 日本文化には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。 だから、相撲界にも儀式があって、教義がない。 日本人は、現実肯定主義者となって、改革運動に耳を貸さない。 考え・哲学がなくては、進歩のための議論が始まらない。これが我が国の癌となっている。
>夢に一歩前進できてうれしく思う」と話した。
そうですね。 白鵬さんの改革運動は、実に真を突いている。 相撲の国際大会を応援します。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。現実の内容ばかりである。 わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。非現実の内容 (視点・論点) がない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は他人の受け売りを学ぶばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。社会に有能な指導者が現れない。 [木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひ獲得すべき知性の保証です。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において自分の理想に相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
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