2026年02月10日(火) 

 

>産経新聞   >玉木氏、日本の左派系主張に「防衛力強化 = 戦争の考え、変えないと」リベラルは「大事」   >4時間・   

>国民民主党の玉木雄一郎代表は10日の記者会見で、日本の左派的主張について「『防衛力の強化=戦争』という旧来の左派・リベラルの考え方は少し変えないといけないのではないか。   

 

そうですね。「武力の鍛錬 = 合戦」の考え方と同じですね。   

 

>避けなければいけないのは戦争であって、防衛力の強化ではない。    

 

そうですね。武士は社会の治安を護るために帯刀していた。治安の維持は大切ですね。      

 

>戦争を避けるため防衛力を強化しないといけない」と述べた。

 

そうですね。   

ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。

これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967年 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。

「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領)

‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’  (マシュー・ポッティンジャー) 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相)   

戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。= 真に勝つことは自らの力を増すことで、戦わずして勝つことが最善である。      

わが国は平和国家であるから自国の強大な抑止力 (物量) を示しながら相手国の冒険主義を抑えて、国家の最善を目指さなくてはならない。  

 

>記者から最近ユーチューブで「リベラル系」の発信力が低下していると指摘されていた。    

>「リバティーの尊重がリベラル」    

>玉木氏は「今まで防衛予算を増やすと『日本が戦争を仕掛ける』みたいなことが長きにわたって語られていた。    

 

そうですね。先の大戦からの連想ですね。論理的でない。         

 

>さすがにそう思っている人は日本にはもういないのでは。    

>国民の考えも現実的に変わってきた」と指摘した。

>その上で、「リベラルの考え方は大事だ。   

>リバティー(自由)を守るのがもともとのリベラル。    

 

自由とは ‘意思の自由’ のことである。   

ところが、日本人には意思がない。だから、日本人にとっては自由自体にも意味がない。’不自由を常と思えば不足なし’ となっている。    

 

>自由に行動し、思ったことを発言し、個人の権利や基本的人権を守っていくのはすごく大切なこと」と述べ、「個人の権利も、国家の主権も守る。   

 

そうですね。   

意思のある所に方法がある。Where there’s a will, there’s a way.  

求めよさらば与えられん。Ask, and it shall be given to you.  自ら積極的に求める態度が必要だということ。   

 

>この組み合わせを主張する野党はあまりなかった。   

 

そうですね。日本人は無哲学・能天気ですからね。自己の見解を明らかにすることはありませんね。      

 

>現実路線に野党全体としてかじを切っていくべき」と語った。

 

そうですね。日本文化には現実 (事実) ばかりあって、非現実 (考え・哲学) がない。だから現実路線の中に居ながら主張する内容がない。思い付きが浅薄であると ‘武道は殺人’ になる。武士はとても務まらない。           

 

>香港情勢に懸念   

 

>玉木氏は香港政府による民主派の抑圧にも言及した。    

>香港の裁判所は9日、民主派香港紙の蘋果日報(アップルデイリー)創業者、黎智英(ジミー・ライ)氏に対し国家安全維持法違反罪などで禁錮20年を言い渡している。    

>玉木氏は、「思いを発露する表現の自由や報道の自由は健全な社会を形成する重要な基盤だ。    

 

そうですね。独裁政治は個人主義の大敵ですね。   

 

>それに対する脅威だ」と述べ、「香港の言論の自由が制約を受けることに重大な懸念を表したい」と訴えた。   

 

そうですね。 ‘不自由を常と思えば不足なし’は良くない。   

 

>(奥原慎平)    

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。現実の内容ばかりである。

わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。非現実の内容 (視点・論点) がない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は他人の受け売りを学ぶばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。社会に有能な指導者が現れない。 [木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひ獲得すべき知性の保証です。   

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数31 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2026/02/10 20:38
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