2026年02月15日(日) 

 

>東スポWEB   >中道・小川淳也新代表 立憲時代の「悪口ばかり」負のイメージぬぐえるか   >東スポWEBによるストーリー・   >14時間・    

>中道改革連合の代表選が13日に行われ、立憲民主党元幹事長の小川淳也氏が新代表に選出された。    

>元総務政務官の階猛氏は敗れた。    

>小川氏は「党内の体制を整え、各党との連携を深め、具体的な成果で国民生活に貢献できるよう全力を尽くす」と意気込んだが、前途は多難だ。    

>中道は改選前167議席から49議席に減少。代表選は27票対22票となった。    

>党内には性急な新党結成や旧公明党出身の議員が比例名簿で上位となったことに不満がくすぶり、また、落選した候補者へのフォローなど課題が山積。    

>何より高市早苗首相率いる自民党とどう立ち向かっていくかという戦略の立て直しが必須となる。    

 

そうですね。   

 

>評判がいいとは言えない党名について、小川氏は「(中道と書いてくれた)1000万人余りの有権者の思いは軽視したくない」と改名には慎重。    

>立憲と公明の参院議員と地方議員は中道に合流していないが、「少し猶予を持たせてほしい」と合流は急がないとした。   

>巨大与党への対応は「野党第1党の主要な職責は権力の監視で、政権と対峙するのが基本線だ」と厳しい目で見ていくと主張した。    

>大敗した衆院選の総括が今後行われるが、よく指摘されているのが中道、特に旧立憲には「批判ばかりしている」とのイメージがある点だ。    

 

そうですね。自分に政治哲学がないのですから、論戦はできない。批判しかできないですね。

自分自身に考えがないのですから、もっぱら他人に対する愚痴を言うことになりますね。      

 

>このイメージは今に始まったものではない。    

 

そうですね。日本人は昔から無哲学・能天気でしたからね。伝統は恨み節専門ですね。   

 

>旧立憲関係者は「予算委員会などテレビ中継のある質疑では追及型の質問をする議員を決めます。   

>ある議員が追及型の質問をした際に、地元事務所にクレームが殺到したというのです。   

>厳しい言葉を使う追及型の質問が期待されていないムードは以前からありました」と明かした。    

 

そうでしょうね。攻撃一本やりですからね。建設的ではないですね。’頭の上の蝿を追え’ と言われますね。   

 

>振り返れば2024年の東京都知事選に出馬した蓮舫参院議員にも「批判ばかりしている」というレッテルがついて回った。   

 

政治哲学がないのですから、批判しかできないですね。これは政治家にとって深刻な問題ですね。  

 

>中道の泉健太元立憲代表はこの日、Xに批判ばかりとの声があることを受けて「新党『中道』は、政策で競います」と投稿。    

 

政治には未来の先取りが必要ですね。だが日本人には世界観がない。だから政治家といえども一寸先は闇である。わが国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。         

 

>ムードを変えられるのか。    

 

為せば成る 為さねば成らぬないごとも 成らぬは人の為さぬなりけり。上杉鷹山

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において自分の理想に相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

(略)  

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。現実の内容ばかりである。

わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。非現実の内容 (視点・論点) がない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は他人の受け売りを学ぶばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。社会に有能な指導者が現れない。 [木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひ獲得すべき知性の保証です。   

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数25 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2026/02/15 10:47
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