佐々木悠翔氏 |
>週刊女性PRIME >「高市首相は “推し活” で勝った」は本当か? 中道の衆院選総括に23歳の “若者” が真っ向反対して話題 >週刊女性PRIME[シュウジョプライム]によるストーリー・ >3時間・ > 衆院選の総括で「推し活選挙」という表現が飛び交っている。 >中道の総括は「“推し活”に負けた」 >「“推し活”とはアイドルや著名人のほかネット上のインフルエンサーなど自分にとっての“推し”の人を応援する活動を意味します。 >ライブ参加やグッズの購入のほか、SNSを通して“推し”を広める行為なども該当します。 >今回の選挙は自民党が勝ったというより、高市早苗首相を“推し”たい人が目立ったとも言われていますね」(スポーツ紙記者) > SNSでの支持や拡散力、若者の共感が投票行動につながった――そんな文脈で使われる言葉だが、そのレッテル貼りに「待った」をかけた人物がいた。 >2月18日放送の『ABEMA Prime』で、日本若者会議理事の佐々木悠翔氏が異議を唱えたのだ。 > きっかけは、2月16日に中道改革連合前共同代表の野田佳彦氏がX(旧Twitter)に投稿した一文だった。 >《自民党にガチンコ勝負で負けたという実感はありません。 >高市総理への期待感だけの“推し活”のようなイメージ論に、選挙戦全体が支配されてしまったように思います》
日本人は気分・雰囲気・感情に支配されやすいですからね。
> 敗因を“推し活的熱狂”に求める内容だったが、佐々木氏は番組内で「高市政権では“実行力”や“政策への期待”が支持理由の上位を占めています」と指摘し、「一方で石破政権や岸田政権では、“他より良さそう”“人柄が信頼できる”といった消極的・情緒的理由が上位でした。 >実行力や政策で支持しているなら、それは“推し活”ではないのではないでしょうか」と背景を解説している。
実行力や政策は “推し活” ではありませんね。
> これにはネット上で《佐々木くんまとも》《佐々木悠翔面白い人選。スタッフGJ》といった声が聞かれる。 > 佐々木氏の主張には妥当性があると指摘するのは政治ジャーナリストだ。 >「2026年1月13日に実施されたNHKの世論調査では高市政権の支持率は62%であり、支持する理由は“実行力がある”が33%ともっとも多くなっています。 >2024年12月9日に実施された石破政権の世論調査では、支持率38%に対しもっとも大きな理由は“人柄が信頼できる”の33%でした。 >むしろ“推し”は石破さんの方が強かったのです。
そうですね。
>数字が示すのは、『高市支持=イメージ先行』という単純な構図ではないという現実です」
そういうことになりますね。
> さらに佐々木氏は、今回の選挙戦で自民党が街頭演説などを通じ、野党よりも詳細かつ粘り強く政策を訴えていた点にも言及し、「敗因を“推し活選挙だった”と整理するのではなく、なぜ現役世代に響かなかったのかを分析すべき」と主張している。
そうですね。野田佳彦氏は政治家でありながら、政治哲学以外のことに気を奪われているようですね。これでは敗因の究明にはなりませんね。過ちは何回でも繰り返しますね。
> この発言に、番組で共演していた実業家のひろゆき氏も苦笑いを浮かべながら「中道は、経済の議論の土台にすらなっていない。 >そのズレがわかっていないのがすごい。
無哲学・能天気は恐ろしいものですね。真人間になることが難しい。
>“私たちならできる”と思っている、その現実離れが問題なんじゃないですかね」と語り、大きくうなずいていた。
そうですね。これは祖先伝来の日本人の弱点でしょうね。 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである' (昭和天皇)
> 敗北を“推し活”という言葉で整理するのは簡単だ。
そうですね。昔ながらの歌詠みですね。
>しかし、数字と向き合い、支持の理由を冷静に分解する作業は決して楽ではない。
歌詠みには意味がない。理詰めの議論は出来ませんね。
>今回の論争が突きつけたのは、選挙結果そのもの以上に、政治側の“総括力”が試されているという事実なのかもしれない。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。現実の内容ばかりである。 わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。非現実の内容 (視点・論点) がない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は他人の受け売りを学ぶばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。社会に有能な指導者が現れない。 [木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひ獲得すべき知性の保証です。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において自分の理想に相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
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