2026年05月15日(金) 

 

日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。だから、否応なく日本人は現実肯定主義者になっている。そして非現実の内容を現実へと導こうとする改革派の足かせになっている。   

現実一本やりの日本人は考え方に難渋している。磐越道バス事故、沖縄・辺野古船転覆事故、愛子天皇の可能性、相撲が五輪競技になるかどうかなど、考えが遅々として前進しない。   

 

交通事故の場合は法令を通して我々国民が乗客の安全を図るという立場に発言者の意識が集中していない。関係者がありとあらゆる状況証拠を上げて、法令遵守の結論に行き着かない。   

 

「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)    

 

愛子天皇の場合は、皇室の家族も人間であり、基本的人権により自由平等であるというルールに従うべきです。男女差別は認められませんから男系男子の案はなくなりますね。   

 

相撲をオリンピック競技にするために、‘アマ相撲の聖地’ の有無が問題でしたが国際相撲連盟と日本相撲連盟の会長にトヨタの豊田章男さんがなっているので問題解消ですね。   

親方衆が現実肯定主義者になっていては、我が国は現実にとどまるしかないですね。非現実の内容を原動力にして世界は進歩するのですから、日本人は考えの習慣を改めるべきですね。   。   

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。現実の内容ばかりである。

わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。非現実の内容 (視点・論点) がない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は他人の受け売りを学ぶばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。社会に有能な指導者が現れない。 [木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば、独創性が認められると学位 (博士号など) が得られる。ぜひ獲得すべき知性の保証です。   

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数14 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2026/05/15 18:38
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