2026年05月07日(木) 

 

>女性自身   >「誰かの主張の為に沖縄へ行ったわけではありません」辺野古事故 地元紙の投書が波紋のなか … 死亡生徒の遺族が “政治利用” に訴えた「悲痛な思い」   >女性自身によるストーリー・   >10時間・   

>3月16日に沖縄県・名護市辺野古沖で発生した小型船2隻の転覆事故。    

>同事故によって、平和学習の一環で「平和丸」に乗船していた同志社国際高校2年生の武石知華さん(17)と「不屈」の船長だった金井創さん(71)の2名が亡くなった。    

>いまだ全容解明には至っておらず、痛ましい事故を引き起こした運航元と学校側には厳しい視線が注がれている。   

 

運航元と学校側の責任者の説明が必要ですね。   

 

>船を運航していたのは、名護市に拠点を置く「ヘリ基地反対協議会」。    

>普段は米軍普天間飛行場の辺野古移設に対する反対運動などを行なっている市民団体で、転覆した2隻は抗議活動にも使用されていたという。

>「亡くなった金井さんは10年以上船長を務め、学校などの依頼を受けて年に数回ほどボランティアで運航していたといいます。   

>今回の運航は抗議活動ではなく、海上から建設基地の現場を見学する目的だったとされています。    

>しかし事故によって、同団体が海上運送法に基づく事業登録をしていなかったことが判明。    

 

協議会の不法は処罰の対象になりますね。   

 

>また、事故当時は現場海域に波浪注意報が出ていたものの、学校側は出航判断を船長側に一任。    

>引率の教員も乗船していなかったことが明らかになり、文科省は学校に職員を派遣するなどして調査を進めています」(全国紙記者)    

 

引率教員の杜撰な引率が問題ですね。   

 

>事故発生から1カ月半あまりが経過したが、5月2日に知華さんの姉が「note」につづった“訴え”が注目を集めている。    

>「note」では《知華が確かにここにいて、笑って、悩んで、楽しみにしていた日々を、姉として少しずつ残していきたいと思います》とし、姉妹で過ごした思い出や最愛の妹を亡くした喪失感が克明につづられていた。

>そして、投稿の締めくくりとなる最後の段落では、《知華のことを正しく伝えるために》と題して悲痛な思いがこう記されていたのだ。    

>《父がこのnoteを開設した目的の一つに、知華のことを正しく伝えることがあります。    

>知華は、誰かの主張のために沖縄へ行ったわけではありません。    

>沖縄戦の歴史や経済、文化を勉強し、メイクや服装に悩み、お友達と沖縄へ3泊4日の旅行に行くことを楽しみにしていた、一人の女の子でした》    

 

そうでしょうね。   

 

>《沖縄のテレビや新聞では、ほとんどこの事故の報道は無いと聞いています。    

>もしかすると、知華は抗議活動に参加していたと、まだ思われているかもしれません。    

>SNSにあまり触れない沖縄の年配の方々にも、知華の本当の姿を知っていただきたく、私たちの note のことを伝えていただけると嬉しいです》    

>また、遺族の「note」では、4月1日の投稿で《私は当日まで、知華が「抗議船」に乗ることなど全く知りませんでした》《知華自身も、このコースの背景をほとんど理解していなかったようです》と記載されていた。    

 

知華さんはまんまと抗議船に乗せられたのですね。何事にも本人の理解が必要ですね。      

 

>知華さんは家族に辺野古のコースを選んだ理由を問われ、《「美ら海水族館に行きたいんだけど、美術館で怖い絵を見るよりかは、お友達と綺麗な珊瑚礁を見る方が楽しそうじゃん」》と話していたという。

>しかし遺族の思いに反して、事故と抗議活動を結びつけるような発言や発信も散見されてきた。

>沖縄タイムス社が発行した5月1日付の朝刊では、事故を取り上げた読者の投書に《天国から二人の声が聞こえてくる。    

>『誹謗中傷にめげず、抗議行動を続けてほしい』と》の一文が掲載されていた。    

>故人の意思を断定するような表現に批判が噴出し、同社は3日付の朝刊で「本紙の編集過程の確認作業が不十分だった」として謝罪文を掲載した。    

>前出の全国紙記者は言う。    

>「こうした事例は、事故発生直後からありました。    

>例えば、3月17日に『産経新聞』のインタビューに応じた抗議活動の関係者は、亡くなった知華さんに対して『思いはきっと、“辺野古のこんな無謀な工事はやめてくれ”という意味で辺野古に来ていただいたと思う』とコメント。    

>同月19日に行われた国会前デモでは、社民党の元幹事長・服部良一氏(76)が行なったスピーチも問題視されていました。    

>服部氏は事故と普天間基地の移設工事を結びつけ、『埋め立てるのが悪い。    

>こんなことをしなければ事故は起きなかった』などと発言。    

>SNSなどで、“事故原因を移設工事に転嫁するな”と批判が寄せられていました。    

>そもそも今回の事故は、ヘリ基地反対協議会や学校側の杜撰な安全管理体制が問題視されています。    

 

ヘリ基地反対協議会と学校側の責任者の死亡事故の関する説明責任が果たされていませんね。   

強力な責任追及が必要ですね。   

 

>抗議活動や移設工事などと結びつけることが不適当なのは、遺族の発信からも明白でしょう。    

>なおかつ、遺族の発信やヘリ基地反対協議会に対する批判を“政治利用”することも、決してあってはならないはずです」    

>Xでは知華さんの姉がつづった「note」を読み、胸を打たれたという人が続出。    

>尊い命が失われた痛ましい事故が“政治利用”されることに対して、異論を呈する声が広がっている。    

>《亡くなった人を政治利用するな!》    

>《知華さんを政治利用するなんてひどすぎる》    

>《「知華は、誰かの主張のために沖縄へ行ったわけではありません」 ご遺族がこの一文をわざわざ入れることが事の異常さを物語っている》    

 

そうですね。日本人の異常さですね。   

日本人には意思がない。意思のない人間には責任がない。その結果、被害者・犠牲者だけが多発して、その責任者が見つからない。   

日本人の社会は序列社会である。人間序列はいたるところに見られるが、自己利益と恣意の優先順位に資するのみで、責任の所在は存在しない。だから事故が起これば日本人はうろたえるばかりである。   

 

日本人には責任がない。だから昔から責任者を名指しすることが難しかった。一旦事が起これば、責任者捜しのために騒ぎが起こる。日本残酷物語の様な騒ぎになることもある。

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)  

 

子供の勉強は他人の受け売りをすること。

大人の勉強は自己の見解を明らかにすること。自己の見解を論文として発表し、英米流の高等教育機関から独創性を認められると、学位 (哲学博士 = Doctor of Philosphy: Ph.D.) が得られる。ぜひやるべき勉強です。

日本人は無哲学・能天気であるから、自己の見解を明らかにすることはできない。だから子供の状態にとどまる。受け売りの教育により天下の秀才 (クイズ王) が沢山出来る。       

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにしない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は他人の意見の受け売りの仕方ばかりを教えられて、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]   

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。自己の見解を明らかにすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩により一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数3 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2026/05/07 22:41
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