野党と与党 |
>AERA DIGITAL >「稚拙な政権批判で野党は信頼を失った 暴走する与党と民主主義のゆくえ」東浩紀 >東浩紀によるストーリー・ >1日・ > 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。 >時事問題に、批評的視点からアプローチします。 >* * * > 国会がおかしくなっている。 >与野党の対立が激化し、野党5党は審議拒否に入った。 > 野党側は審議拒否の理由を与党の強権的な国会運営に求めている。 >焦点は比例45議席の削減法案で、別途設けられた選挙制度協議会での合意を必要とせず、1年後には自動成立する条文になっている。 >参院では否決されるだろうが、与党が衆院の3分の2を押さえているため強行採決が可能だ。 > 野党の言い分はよくわかる。 >比例議席の削減は少数政党に不利な改革だ。 >日本の民主主義に不可逆の影響を与える。 >数任せで成立させてよい法案ではない。 > 与党の態度は強硬だ。 >審議拒否後の6月30日には国旗損壊罪法案が衆院で可決された。 >これもまた問題含みの法案だが、国民と参政は共同提出に加わっていた。 >ところが採決は両党が欠席するなかで行われた。 >全く異例の事態だ。 > 会期は残り少ない。 >与党の歩み寄りを期待したいが、現状では難しいだろう。 >というのも、ここまでの事態になっても世論は野党を支持していないからである。 >日本経済新聞の6月末の世論調査では、内閣支持率はむしろ微増している。 > なぜか。結論から言えば政権批判の稚拙さが原因だ。 >4月に週刊文春で報道があって以降、野党はいわゆる「中傷動画問題」の追及に時間を割いてきた。 >ところが6月半ばに肝心の動画に捏造が指摘され、要となる証言の信憑性が一気に失われてしまった。 >いまはむしろ証言者の怪しい過去が話題だ。
自業自得ですね。
> 2月のイラン攻撃に始まるナフサ危機でも対応を誤っている。 >政府は供給安定に努力していると理解を求めた。 >他方野党は不安を煽った。 >6月末時点でナフサ不足は起こっていない。 > このような事例の積み重ねが野党から信頼を失わせている。
自業自得ですね。
>むろんいまの与党は問題だ。 >しかし批判を自己目的化した野党に期待するほど国民は愚かではない。 >本稿執筆中に今度は総理の経歴詐称が話題になり、あっというまに否定された。
自業自得ですね。
>さすがにうんざりだ。 >与党の暴走を止めるためにも、野党とメディアは原点に戻ってもらいたい。
そうですね。与党に見合った野党が存在するということになりますか。 野党がだめならメディアも駄目ということでしょう。
>※AERA 2026年7月13日号
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。現実の内容ばかりである。 わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。現実ばかりがあって非現実の内容 (視点・論点) がない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は他人の受け売りを学ぶばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人主義がなく、個人の価値が低い。社会に有能な指導者が現れない。 [木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関において、自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば、独創性が認められると学位 (博士号など) が得られる。ぜひ獲得すべき知性の保証です。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。 評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)
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