中村敏子氏 |
>集英社オンライン >政治・経済分野での日本の恥ずかしいジェンダーギャップ指数 源流は明治・大正時代に国が進めた「性別分業」政策 >15時間・ 〈戸籍上まるで前妻が第一夫人かのように…再婚で気づいた矛盾。知らない人に個人情報が筒抜けになる制度の実態と変わる家族のカタチ〉から続く >世界経済フォーラムが男女共同参画に関する国際的な指数として発表しているジェンダー・ギャップ指数。 >日本は、教育・健康分野ではトップクラスで男女平等が進んでいるとされているが、政治・経済分野では最下位に近い。 >その源流が明治・大正期に国が進めた「性別分業」政策にあると指摘するのは政治学者の中村敏子氏だ。 >【図】日本だけほぼ横ばい…諸外国の国会議員に占める女性の割合の推移 >書籍『選択的夫婦別姓はなぜ日本を変えるのか』より一部を抜粋・再構成し、女性が政策決定の場から遠ざけられてきた歴史を遡る。 >「性」の違いに基づく「性別分業」 >1925(大正14)年に制定された普通選挙法によって、女性が選挙権の獲得を否定され、政治の領域から締め出されました。 >それまでの過程で、政府は女性を政治に関わる領域から排除する政策を一貫して推し進めました。 >1879(明治12)年の教育令によって、小学校以外は男女別学と定められたのを始めとして、1884(明治17)年には区町村会法が改正され、地域によっては一時期認められていた「女戸主」の選挙権が否定されました。 >1889(明治22)年の衆議院議員選挙法も男子のみに認められ、その翌年には、集会及政社法によって、女性の政党加入や演説会への参加が禁止されました。 >1893(明治26)年には、旧弁護士法により弁護士になるのも男子に限定されました。 >同時に政府は、女性に対する「良妻賢母」教育を推し進めました。 >1893年に文部省は「女子教育に関する件」という訓令を出し、女子は家庭での役割を前提として教育が行なわれるべきだとしました。 >しかし、こうした政策の基本となる「教育勅語」のなかでも、男女関係の道徳に関しては「夫婦相和し」と書かれていましたし、女性が「良妻賢母」になるということは家庭における重要な役割を担うことですから、ここでも男女の関係は家父長制的ではなく、それぞれの職分を担うという考えが基本にあったと思われます。 >重要なのは、国家が男性を納税や選挙という重要な義務・権利に関わらせることで、国家行政の一端を担うようにさせ、男性を重視する政策をとったことです。 >そのことにより、「職分」の違いに基づく「役割分業」だった夫婦の関係が、「性」の違いに基づく「性別分業」へと変わっていくことになりました。 >こうしてできあがった性別分業の構造は、政治の領域における女性のあり方にも影響を及ぼしました。 >第2次世界大戦前には国民が政治に参加する権利は男性だけに限られていたのですが、終戦からわずか4ヶ月後の1945(昭和20)年12月には女性にもその権利が与えられました。 >この変革は、男女同権をうたった日本国憲法の制定(1946年11月公布)に先立って行なわれたものです。 >1946(昭和21)年に行なわれた総選挙においては、39名の女性が当選しました。 >これは、衆議院議員464名の8.4%にあたります。 >市川房枝などを中心に長年参政権を要求してきた女性たちがついにそれを手にした喜びと興奮は、当時の新聞などから明らかに読み取ることができます。 >女性は政策決定に影響を与えられない >ところが、女性議員の数がそのまま増加することはありませんでした。 >衆議院を見てみると、2回目の選挙からその数は減少し、そうした状態がしばらく続きました。 >これを見ることで、政治の領域においても性別分業が進んだことがわかるでしょう。 >こうして政治的決定に女性が関わらない構造ができあがったのです。 >このような状況が少しずつ変化していくことになったのは、平成に入った1990年代からです(図1参照)。 >このきっかけとなったのは、土井たか子が社会党の党首となって、1989(平成1)年の参議院議員選挙において女性の候補を多く擁立し、女性の議員が多数誕生したことです。 >これは「マドンナ旋風」と呼ばれました(図2参照)。 >この影響により、翌年の衆議院議員選挙でも女性の候補者、当選者が増加し、そこから増加傾向が続くことになりました。 >それでも戦後第1回目の選挙の当選者数を初めて上回ったのは、なんと2005(平成17)年の衆議院議員選挙においてでした。 >その結果女性議員は43名となりましたが、それでも全議員の10%に満たない数でした。 >これまで最も多くの女性議員が誕生したのは、2024(令和6)年の総選挙においてです。 >そのときには73名の女性が当選しました。 >それでも全議員465名のうち15.7%で、政府目標の30%には遠く及んでいません(本書執筆中の2026年2月に総選挙が行なわれました。 >その結果女性の当選者数は68人でしたので、前回の2024年より減り、全議員の14.6%となります)。 >少数派が、ある集団の中で一定の影響を与えるためには、その集団の30%以上の比率を占める必要がある(クリティカル・マス critical mass)といわれていますが、まだ女性は政策決定に影響を与えるほどの多数を占めていないのです。 >日本の恥ずかしいジェンダーギャップ指数 >多くの諸外国でも、1980(昭和55)年頃には日本とあまり変わらない状況だったにもかかわらず、他国では女性議員を増やす努力がされることで、2022(令和4)年時点では大幅に女性議員の割合が増えています。 >それに対し、日本ではその割合が低迷していることは、その推移を見ればわかるでしょう(図3参照)。 >当選者を増やすためには候補者を増やす必要があります。 >政府は2025(令和7)年までに女性候補者の割を35%にするという目標を立てていましたが、2024(令和6)年の選挙においては23.36%だったので、まだその目標は達成されていません(ただし2026年総選挙では、候補者のうち女性が占める比率は24.4%で、過去最高でした)。 >また、今でもさまざまなレベルの地方議会においては、女性議員の割合がかなり低い状況が続いています。 >2024(令和6)年12月31日における統計では、都道府県議会の女性議員比率は全体で14.6%であり、女性議員がひとりもいない町村議会は2割以上に及んでいます。 >つまりそうした町村においては、女性の払った税金も使いながら、男性だけで私たちの生活に関わる全部の政策が決められているということになります。 >このように女性議員が少ない状況を改善するために、2018(平成30)年に「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」が作られました。 >そこでは基本原則として、各選挙において、男女の候補者数ができる限り均等となることを目指すと書かれています。 >しかし、「できる限り」ということは、できなければそれっきり、ということにもなりますし、その実現を事実上担うべき政党の責務については、候補者の数の目標を定めるなどのことを、自主的に行なうよう定めてあるだけで、罰則などはありません。 >これではなかなか事態が動くことは難しいのではないかと思われます。 >世界経済フォーラムが発表する「ジェンダー・ギャップ指数」において、日本はいつも政治や経済の分野で恥ずかしいほど低い順位なのですが、その背景にはここで述べてきたような歴史があったといえるでしょう。 >一方、政治や経済の分野に比べて、人間生活において基本的に必要な教育や健康という項目については男女が平等に扱われていることがわかるのですが、このことは、家庭においては、分業体制がありながら男女の関係が平等であることを示しているのです。 >このように日本社会では、家族・経済・政治という人間活動のすべての領域において、性別分業という構造が作られ、特に社会的領域において女性の活動を縛ってきたのだといえましょう。 >文/中村敏子
欧米は老弱男女とも自分のことを‘俺・俺’ と呼ぶ、’ため口社会’である。 (ため口: 相手と対等な立場でモノを言うこと) だから理屈が通る。 日本は序列社会であるから、まともな議論ができない。これでは身分の低い議員は成り立たない。元を正さず末に走っても効果は上がらない。改革者には頭脳が必要である。
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