寒い夜はなんといっても湯ったりTIME。 温泉の露天風呂から、凍てつく夜空をぼんやり眺めていると、 点々と光る星々に気持ちがフゥっ・・・と吸い込まれそうになる。 そんな時、いつも必ず思い巡ることがある。 これは、小学生の頃からずっとイメージしていることなのだが、 今回、改めて文字におこして書き留めてみるとしよう。 眺めているあの星たちが散りばめられている広大な宇宙、 その中に浮かぶこの地球、 そしてそこに生きる無数の生物たち -。 これらは、気の遠くなる時間の中で、様々な要因によって創り出され、 無限の天体空間の中に存在している。 そんな時空のほんの最先端で、文化や科学を扱う人類が登場し、 その各々を検証し、解明を行っている。 とはいえ、これらは人類の英知を結集しても到底及ばないスケールで創生された自然物である。 そう、そのように考えられている。 ・・・が、ここで、誠に勝手な想像が自分のイメージを支配する。 そんな、自然物と思われている天体空間すべてをひっくるめて、 実は、全部巨大な何者かによって作られた 何かの標本の1部などに過ぎなかったら・・・?? 例えば、 子供の頃に買った科学雑誌に付録で付いていた実験キット、 これと同じように、「生命誕生実験キット」のような付録により、 巨大な何者かの子供が適当にはじめた実験遊びのケースの中で、 まずは天体空間モデルが作られ、 その中に銀河系やら太陽やら星やらがモヤモヤとでき始め、 その1つにこの地球もあり、その上で様々な生命体が誕生し、 この生命体たちは、なにやらせせこまとした営みの歴史を繰り返している・・・。 そしてこの経過は、実験観察としてその巨大な何者かにずっと傍観されていて、 しかも彼らにとってこの天体の歴史は、ものの数十分のできごとであり、 もしかしたら、理科の授業の中での実験として、 授業時間内でのできごとに過ぎないのかもしれず・・・。 となると、1クラスの生徒分の実験キットがそれぞれに進行し、 同じような状況がそれぞれのケースの中で展開している・・・。 実験観察が終われば、各自家に持ち帰るか、そのまんま捨てられるか・・・。 まぁ随分ばかなことを考えるもんだ、と思われるかもしれないが、 それが100%間違いであることを証明できる者はいない。 たまたま“人類”という、科学なる学問を駆使する生命体が なんでもわかったようなつもりでいるが、 そんな人類が考えつく常識や理論なんかまったく問題にもならない実態が、 そのとてつもなく大きな外側にある可能性はまったく否定できない。 今見ている、または考えの及ぶすべての事柄は、 誰かの単なる実験ごっこの中でたまたま作られている事象でしかないのかも・・・ それくらい、僕らはなんにもわかっちゃいないのかも・・・ これが、宇宙をぼんやり眺める時、 いつも思い巡る “勝手なイメージ” である。 |