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2013年10月05日(土) 
 まず、はじめにこのような舞台を用意していただきましたヤクルト球団に感謝したいと思います。ありがとうございました。最後まで残っていただいたタイガースファンの皆さま、ありがとうございました。

 1995年、ヤクルト入団以来、たくさんの方にお世話になってやってこれました。私が最も影響を受けた方が野村監督。野村監督にはプロ野球で生きるすべを教えていただきました。若松監督にはレギュラーとしての自覚、古田監督には中心選手としての責任、高田監督には選手寿命を延ばしていただいたサードへのコンバート、小川監督には常に体調面で気遣っていただき、ベストな状態で試合に臨めるよう配慮していただきました。その小川監督は、私の担当スカウトでもあります。小川監督の下でユニホームを脱げること、幸せに感じています。

 そして今まで教えていただいたコーチの方々、チームメート、裏方さん、トレーナー、球団スタッフの方、いい仲間に巡り合えたからこそ、ここまでやってこられました。ありがとうございました。

 両親には何でもいいから1番になれと育てられ、なれたかどうかは分かりませんが、夢だったプロ野球選手になれたのは親父、お袋のおかげです。ありがとうございました。妻・知美にはプロ野球生活のほとんどを支えてもらいました。本当にありがとう。陽菜(ひな)、奈桜(なお)、恭佑(きょうすけ)、実空(みく)、おまえたちがいたから父ちゃん頑張れました。ありがとう。

 私のプロ野球生活の思い出は、3度の日本一です。個人記録もありましたが、やはり優勝、日本一の瞬間が今も強く印象に残っています。今年、スワローズは最下位に低迷しました。チーム一丸となってこの秋から来年、必ず巻き返してくれることを期待しています。

 小さいときから好きで始めた野球がプロになり、仕事に変わりました。引退会見の時、私は楽しんでプレーしたことは一度もないと言いました。打てないんじゃないかという不安、エラーするんじゃないかという恐怖、今まで楽しく野球をやったことはありませんでした。しかし、引退会見後、自分の中で変わっていきました。代打で出るだけで、ファンの皆さまの温かく大きな声援、拍手を頂き、苦しかっただけのはずのグラウンドで、私は幸せ者だったんだと感じました。皆さまのおかげでグラウンドでプレーすることを楽しく初めて感じられました。つらかったこと、苦しかったこと、悔しかったこと、全て報われた気がしました。プロのプレーを見せ、チームが勝って、ファンの方々に喜んでいただくのがプロ野球選手の使命だと肝に銘じてやってきましたが、最後になって野球の楽しさを皆さまから実感することができました。ファンの皆さま、本当にありがとうございました。

 最後に東京ヤクルトスワローズのファンの皆さま、神宮球場のファンの皆さま、今までの応援最高でした。19年間本当にありがとうございました。
  ×    ×
 私は、野球に詳しい訳ではありません。中学生の頃、プロ野球で巨人が強いのを知り、毎年最下位の「国鉄スワローズ」が強い巨人に時々勝つのが気持ち良く思っていました、国鉄から球団名は度々変わり「ヤクルト」になりましたが、そんなことで歳とった現在も何となくヤクルトスワローズが好きなのです。

昨夜、神宮球場の最終戦が宮本選手の引退試合として行われ雨模様の中で延長規定の12回までフル出場、最後まで「宮本らしさ」がありましたね。(TV)
近い将来、監督として戻って貰えることを期待します。(草葉の陰から)

閲覧数1,357 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2013/10/05 14:43
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コメント(2)
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  • 2013/10/05 22:19
    この頃のヤクルトは宮本選手が支え役でしたね。

    長島茂雄氏が監督解任からアンチ巨人になりました。
    荒木投手がヤクルトに入団してからヤクルトファンでした。
    古田捕手の活躍もありました。

    この頃は年齢のせいか野球にも夢中にはなりませんが
    宮本選手が頑張ってる姿は良かったですね。
    温かみのある人と思っていました。
    やはりプロは大変ですね。
    まーちゃさんが記事を載せてくれたことで改めて宮本選手の偉大さを
    かんじました。
    本当にお疲れ様でした。
    良き監督になると思います。
    次項有
  • 2013/10/06 12:06
    みつちゃんさん
    ありがとうございます。
    引退セレモニーもBSで中継がありましたね。雨の降る中、延長12回規定一杯まで試合は延びましたがお客さんは帰えらずTV 中継も延長でした。

    この日は神宮球場、最終戦と云うことで選手全員が整列小川監督のお礼とお詫びの挨拶が短くあって選手は引きあげました、見ていて何?と思ったです、宮本も他の選手の後に着いてベンチの方に戻ってしまったがここからがセレモニーだったのです。

    球場のあの大画面に入団当時からの名場面が上手く短時間に編集されて映し出されて色々と思い出すことが出来ました。

    そして挨拶が始まりました、満員のフアンの中で奥さんや子供たちに名前で呼びかけて感謝のありがとうの言葉、イイなー思い感動しました。TV画面には奥さんや子供たちがアップで写っていました。

    挨拶が終わると胴上げでした、背番号の6回でした、そして選手一人ひとりと声掛けの抱擁やタッチ、肩をたたかれ泣き顔の若手、良い場面でした。

    それからサインボールを投げ入れながらの場内一周、多くの報道陣が取り囲んでいましたね。一周すると時計は10時放送終了、最後の場面は家族のアップでした。

    TV終了後、続きがありました。宮本選手が一番やりたかったこと、それはフェンスをよじ登り金網をマタイで一番近い所から「ありがとう」を言うことだった。(その記事貼り付けます)
     涙雨が舞い落ちる神宮。感動のスピーチを終え、万感の思いで場内を一周した。そして、最後に向かったのはヤクルトファンが待つ右翼席だった。フェンスを駆け登ると、金網をまたいで「ありがとう!」と叫んだ。

     「あれが一番やりたかった。本当は優勝してやりたかったけど、01年の時はまだそういう選手じゃなかったのでできなかった。あれだけはやろうと決めていた」

     01年とはヤクルトが最後に日本一に輝いた年。この年、宮本はプロ野球記録の67犠打を樹 立し、日本シリーズでも、この日と同じ「2番・遊撃」で出場していた。しかし、MVPの古田、胴上げ投手の高津らがフェンスを登ってファンとともに喜びを分かち合う中、脇役は自ら「日本一の儀式」は自粛していた。12年の時を経て自らが主役となった引退試合。日本一の名脇役は、フェンスによじ登って少しでも近いところでファンに感謝の気持ちを伝えたかった。
     ×    ×
    今シーズン残りの試合、コーチとしてチームと一緒にいるそうです。
    次項有
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