日本経済新聞 2013年2月3日付 朝刊 【一人で新聞 復興届ける】 〈町民目線で町民のための情報を〉 「町独自支援 1棟150万円」「お楽しみ市、何あんだべぇ」 毎週月曜日に発行されるA3版の両面カラー紙面は、岩手県大槌町の情報だけで構成される。道路の設置場所や住宅再建の補助制度、イベントの告知――。「字は大きいし、大槌のことが詳しく載っている」と手にした高齢者の顔がほころぶ。 コミュニティー紙「大槌新聞」が誕生して8か月。同町で生まれ育った高田由貴子(たかだ・ゆきこ、38)が「町民目線で町民のための情報を届けたい」と、取材から編集、制作、広告営業まで一人でこなす。 震災直後、誰もが情報不足に陥り、不安と不満が渦巻いた。 自宅は無事だったが、町の被災状況を知ることができない。自転車で避難所を回り古新聞をむさぼり読んだが、大槌の報道は断片的だったり、被災地外に向けた内容だったりした。 町に臨時職員として雇用されホームページの編集に携わった。だがネット情報が高齢者に届くとは思えず、町の広報紙も字が小さく長文で敬遠される。一方、町を歩けば、津波が襲った土地や仮設住宅に自動販売機やATMが設置されていた。こんな光景が震えるほどうれしく町民と共有したいが、地域に根付いたメディアはなく、もどかしさが募った。 転機は昨年6月、復興を支援する一般社団法人に転職し、新聞づくりを発案したところ認められた。市販の編集ソフトのワープロ文字に手書きが交った第1号の発行にこぎ着けた。 古里に特別な愛着があるわけではなかった。岩手大獣医学部に進学したが、心臓の大病を患い獣医になる夢を断念。療養のため戻った大槻町で挫折感を引きずっていた。 町に飛び出し取材を重ねるうち、「町がいとおしくなった」という。津波が押し流した街並みを取り戻そうと住民が日々頑張っている。「考える材料を提供することで、復興に参加したい」 一日も早く暮らしを立て直すため、町民は今こそ情報を切望していると感じる。 関心は住宅移転や自宅の再建に集まっている。 しかし役所の説明会では自分でも聞き慣れない専門用語が頻出し制度も複雑ある男性が「説明会で何を質問したらよいか分からない」とこぼしたことが忘れられない。 だから高田は新聞でやさしく解説したり、重要な個所に赤線を引いたりする 工夫を凝らす。文字は一般紙より2倍ほど大きく、簡潔で語りかけるような文章を心がける。 ある記事について、知人から「言葉が硬くて町の広報紙みたい」と指摘されたことがある。役所の言葉になれたことで一市民としての目線から離れていたと反省した。 昨年9月からは印刷を業者に委託。掲示板に張る形で100部を印刷した新聞は現在3000部まで増え、戸別に配れるようになった。 主な資金源は寄付のほか、町の補助金だが来春には打ち切られてしまう。発行を継続するため、広告営業やコミュニティーFM局との連携などの道を探る。「新聞で町の人を幸せにする」ことが自分の役割だと思っている。 (敬称略) 文 木寺もも子 写真 編集委員 井上昭義 ○○〈読者投稿〉 インフルエンザで寝込んでいた日曜日、布団の中で記事を読んだ。 心とからだがポカポカしてきた。 高田さんの届ける新聞を読む被災者のお年寄りも、こんな感じなのかな?と思った。 社会から隔絶された不安を抱える人たちにとっては、情報が命綱だ。わが町の「今」と「これから」を知りたいお年寄りは、さぞや衰えたからだがもどかしく、情報の壁を恨めしく思ったに違いない。そんな不安を取の除こうとして試行錯誤を繰り返すうちに、高田さん自身の目線が優しく、古里をいとおしく思うようになってゆく過程が温かい。 私の住む関東も、いつ大地震が起こるか分からない不安を抱える。「その日」が来たとき、そしてその後に、私たちはどんな行動をとれるのだろう……。 高田さんの新聞は、被災地を超え、全ての未来の私たちに向けて、静かなメッセージを届けようとしているように思えた。 朝山ひでこさん 56歳 神奈川県 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |