現実の内容は各個人で同じでも、非現実の内容は各個人で同じにならない。
特亜三国 (日本・中国・韓国) の言語には時制がない。現実 (現在) は表現できても、非現実 (過去・未来) は表現できない。
個人の発想・個人主義の大切さを理解することも難しい。
面接により人物を選考することも難しい。胸中に表現できないものを抱えている。腹芸の元か。
非現実の内容を現実の内容に変換すれば、それは創造である。
現実の内容を現実に再現すれば、それは模倣である。
特亜三国には、模倣があって創造がない。北東アジアにパクリ文化圏を形成している。
それだけに、没個性的な競争は激しい。器用貧乏か。
意思は未来時制の内容である。
意思がなければ、加害者意識 (罪の意識) もない。反省の色もない。
だから、特亜三国には、罪をいやす宗教はない。
あるのは被害者意識だけである。恨めしや、、、
国内には加害者意識が希薄で、被害者意識に満ち満ちている。反省の余地もない。人類進歩の先駆けともなれない。
国内でのいがみ合いは政権の不安定、自己の失墜につながる。国力増進の妨げにもなる。
そこで政治家は、国外への恨みをあおって人心を結集し、国内の統一を図ろうとする。
自己利益に執着した国際的に危険極まりない政治家たちである。
未来社会の建設には、未来時制の内容を提示する必要がある。大同が必要である。
特亜三国には、提案する未来の内容がなく、建設的な話し合いもできない。安定的な協力関係にも入れない。
出てくるものは現実の違いばかり。だから、小異を捨てて、大同につくことは難しい。
砂は握っても固めることは難しい。
時制のある英語を特亜三国の共通語にしたらどうか。
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