時制のない考え方では、知的な人間は生まれない。
歴史の事実が過去のことにならず、未来の ‘あるべき姿’ が未来のことにならない。
過去の内容があたかも現在の事実のごとく語られ、未来のことが現実の嘘のように評価される。
文章がなければ意味もなく、発言に混在する矛盾も指摘できない。
過去時制の構文がなければ、過去の内容は出鱈目になり、未来時制の構文がなければ、未来の内容に筋を通すことはできない。
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。
、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、
西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)
‘こうあるべきだという任意の考え’ は恣意であって、世界観ではない。
正しい考え方の獲得は、英米人にとってそれほど難しいものではない。
英語圏における ‘大人になるための教育’ (高等教育) を受ければよい。がり勉も、遊んで暮らす大学4年間も必要でない。
英米の高等教育は更なる英語の教育である。英文法に従って英語を使う練習である。これは、英会話教室や語学留学とは質的に違ったものである。
論文を書いて査読者に見てもらい、内容に関する議論をする。議論をする過程で矛盾は排除され、正しい考えが得られる仕組みになっている。
矛盾を含まず正しい話ができれば、それは英語圏での一人前の大人である。
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