太平洋の時、アメリカの原爆投下により日本は敗戦に追い込まれた。そして、私は命拾いをした。あの時、本土決戦をやっていたら、私は助からなかったであろう。小学校二年の時であった。
それまでは、原爆はなかった。あのときに、無から有が生じたのであった。アメリカ人には創造力があったのだ。
どうしてアメリカ人は、創造力があるかというと、非現実の考えの内容に辻褄を合わせることができるからである。
現実の世界は、過不足なく成り立っている。それと同じことを非現実の世界でやってみせることができるのである。
非現実の内容を正しいものにするためには、考えの内容から矛盾を取り除かなくてはならない。
矛盾を取り除くためには、文章が必要である。文章があれば、意味もあり、矛盾があれば指摘できる。創造力を発揮するためには、非現実の世界を描くための文章が必要である。英語にはそれがある。未来時制の文章で未来・非現実の世界を矛盾なく描けば、それを現実の世界で実現させることにより、創造力を発揮することができる。だから、英米人は、五感を通した経験に基礎を置きつつ非現実の内容を展開させる高等教育を大切にするのである。特に、哲学博士 (Doctor of Philosophy; Ph.D.) の育成は、国を支える切り札になると考えられている。
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トルコ観光をしていた時に、トルコ人の案内人から聞いたことであるが、トルコ人とドイツ人は仲がよいのだそうである。その理由は、トルコ人はドイツ人の真似をしないから信頼されるのだということだ。わたくしは、それを聞いて衝撃を受けた。そのようなほめ言葉をいままでに聞いたことがなかったからである。
私たちの住む北東アジアは、いわゆるパクリ文化圏であり、学習意欲・試験地獄の盛んな人々の住む地域である。人々は他国の文化をいち早く取り入れる聡明な進歩的国民であると自認している。世界の工場となり、世界中のことはなんでも学習できたものと思っている。だが不思議なことに、西洋哲学は難解であり、創造力は身につかない。常に先進国の後塵を拝する立場にいる。抽象的な考え・非現実な内容から矛盾を取り除くことができない。だから、特亜三国人の口からは特に新しいことは出てこない。過酷な現実の殻のなかにいつまでも閉じこもっているのである。中進国の立場に甘んじていなければならない。さえた国にならない原因がここにある。