‘あるべき姿’ は ‘今ある姿’ と同じではない。
‘あるべき姿’は頭の中の内容である。つまり、考え (非現実) である。
‘今ある姿’ は頭の外にある内容である。つまり、現実である。
現実の世界は過不足なく成り立っている。
非現実の世界も過不足なく成り立たせることができれば、それは価値あるものである。物事の判断基準として使えるから、理由の理解できる人間となることができるのである。
過不足なく成り立つ文章内容には矛盾がない。
文章があれば意味がある。意味が通らない文章には、矛盾がある。その矛盾をとりのぞけば、正しい考えとなる。
文章を作るには構文が必要である。日本語には時制がないので、文章の構文は一種類である。
構文が一種類では、'あるべき姿' と '今ある姿' の区別がつき難く、'そんなこと (非現実)言ってもだめだぞ、現実はそうなってはいない’ と反論らしき物言いが出てくる。だから、日本人には物事の基準が立て難く、現実に流されることが多い。
自分の頭の中で基準を組み立てることができないから、勢い他に基準を求めることになる。基準を与えられれば、照合判断ができる。判断はできるが、自主性はない。いぜん、個人判断はできないのである。
相手に基準を示されて、気に入らなければ、不服従である。だが、自分から提案はできないので、こうした消去法でしか自己表現ができないことになる。駄々っ子のようなものか。
文章にならない想いは腹の中でドロドロしている。だが、腹を割ってみせることは難しい。
日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。
日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。
英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。
日本人は外交を知らない。(引用終り)
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