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2014年12月04日(木) 
【ニューヨーク共同】米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は2日、従軍慰安婦問題などをめぐる記事を取り消した朝日新聞への「右派の攻撃」が強まっているとする札幌発の記事を掲載した。安倍晋三首相を含む「民族主義的政治家」による歴史修正の動きがみられるとして批判的に伝えている。
記事は慰安婦報道に関わり現在、札幌市にある北星学園大の非常勤講師を務める元朝日新聞記者らに取材した。元記者はニューヨーク・タイムズ紙に、嫌がらせなどによって大学の職が奪われそうになっている現状や子供にまで中傷が及んでいると述べた。



>まず、籾井氏の慰安婦問題に関する発言を振り返ると次の通りです。「慰安婦は、今のモラルでは悪い。僕はいいと言っているのではない。しかし、そのときの現実としてあった。この2つを分けないと分かりづらい。個人的見解だが、韓国だけではなく、戦争地域に僕はあったと思う。ほかの地域になかったという証拠はない。ドイツにもフランスにも、ヨーロッパにはどこでもあっただろう。この問題は、韓国が日本だけが強制連行したように主張するから話がややこしい。それは日韓基本条約で国際的には解決している。それを蒸し返されるのはおかしい」(引用終り)

従軍慰安婦問題は、法と正義の取りこぼしなのでしょうか。歴史学者の研究分野なのでしょうね。
米MIT (大学) の教授・ジョン・ダワーは以下のように述べています。

、、、、、よしんばこれ [東京裁判] が「代表的」指導者に戦争責任について説明責任を問うための発見学習的あるいはショウケース的裁判であると了解したとしても、ある種の集団、ある種の犯罪がそこから見逃されていることはいかにも顕著である。ひとびとにおそれられた憲兵隊は誰も起訴されなかった。超国家主義秘密結社の指導者も、侵略によって私腹を肥やし、「戦争への道」を拓くことに親しく関与してきた実業家も、起訴されていなかった。日本が植民地統治していた朝鮮人と台湾人を強制動員したことは「人道に対する罪」として追及されなかったし、何万人もの外国人の若い女性たちを狩りあつめて帝国軍人に性的サービスを提供する「慰安婦」として働かせたことも訴追されなかった。また、検察団を支配していたアメリカ自身が、残虐非道さにおいて疑問の余地のない罪を犯した特定の日本人集団を、秘密裏に、そっくり免責していた。満州の七三一部隊で、何千人という捕虜を実験台に使って生物兵器を開発していた将校や科学者たちである (研究成果をアメリカに教えることを交換条件に訴追を免れた)。中国における化学兵器使用の証拠についても、検察は真剣には追求しなかった。* (引用終り)

*増補版・敗北を抱きしめて 下 第二次大戦後の日本人 ジョン・ダワー 岩波書店 2004 p.261



アイデア・考えを述べれば、'そんなこと言っても駄目だぞ。現実は、そうなってはいない' と現実肯定主義者は反論する。彼らに過去・現在・未来に関する非現実の内容を考える余地はない。それは、考える枠組みを持っていないからである。各世界に対応する文章ができないからである。文章のない思いは雑念になる。浅薄な考えの人になる。
文章ができれば、矛盾の指摘が可能になり、それを取り除く事も可能になる。さすれば、内容の辻褄もあい、正しい考えが得られる。
意思は未来時制の文章内容である。日本語には時制はないので、日本人には意思が無い。優柔不断で、意志薄弱に見える。何を言っているのかわからない。

人前で腹を割って話すことは難しい。お互いに肚の探り合いをする。痛くもない肚を探られることもある。談合して、お互いに腹をくくって決着する。「日本人は傲慢で偽善的だ。肚 (はら)の中の事を率直に外に出さず、何を考えているかわからないようなのが名誉であり、賢明だとされる。(ヴァリニャーノ・日本要録)」

意思のあるところに、方法はある。意思がなければ無為無策でいる。自ら望むことなく、危機に陥る民族に成る。
意思がある人には、加害者意識 (罪の意識)もある。深刻な反省も必要になる。贖罪の宗教 (キリスト教)も存在する。反省することにより、周囲の人の信頼を得ることもできる。過ちは人の常、許すは神のわざ。(To err is human, to forgive divine.)
意思が無ければ、罪の意識もない。無心である。無神論者と言うべきか。供養に供養を重ねるだけでは不十分。過去の過ちの分析が必要である。反省不足では、何事も'お互い様だ’という答えしか出てこない。反省の意思を示さない人が、相手からは限りなく恨めしく映る。被害者意識が募るばかりである。
被害者意識は小異である。だが、特亜三国人には大同が無い。行き着く先の内容が無いので、建設計画が無い。だから、小異を捨てて大同につくという機会は得られない。
加害者意識が無くて、被害者意識ばかりが募る。相手をなじるのに遠慮会釈はない。小異と小異の全面的な激突が、北東アジアの不安定要因となっている。





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閲覧数990 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/12/04 21:19
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