2016年09月02日(金) 

 



>江戸から今日までを振り返ってみたが、日本人のコトバの欠乏の原点にあるのは、自治共同体を守り育てるという意志にあると思う。

 

日本語には時制がないから、日本人には世界観がない。自分たちの ‘あるべき姿’ の内容を持つ共同体は想定できない。

また、日本人には、意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語には時制がない。だから、日本人には意思がない。意思のあるところに方法はある。 (Where there’s a will, there’s a way.) その逆もまた眞である。日本人には、守り育てる意思もない。

 

>それが、明治→昭和の時代は、欧米列強に打ち勝つという意志に移行したと思われるが、経済成長を果たし、アメリカを抜いて以降、日本は目標=未来を見失っている。

 

未来社会の内容は未来時制と未来完了時制で語らなくてはならない。日本人にはその目標ができない。

日本語には、階称 (言葉遣い) があるので、相手に打ち勝つ恣意 (私意・我がまま・身勝手)は持っている。だが、それから先は想定できない。

 

>残念ながら私たち日本人は経済成長の勝利=豊かさの実現と引き換えに、自治共同体を守るという志を失い、西洋に変わる社会モデルを日本から発信するという大志を失った。日本人の言語能力再生のヒントはそこにある。

 

世界観がないから、社会モデルのグランド・デザインとか、マスター・プランのようなものは、日本人には想定できないし、発信もできない。

文法は言語能力を左右する。日本人は、時制ある言語 (英語) をも学んで、哲学的発想を身に着けるべきである。さすれば、高尚な人間になることができる。

 

 

 

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閲覧数680 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2016/09/02 21:16
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