2018年04月21日(土) 

 

>2022年、「社会科」の授業が大きく変わる。

 

社会科は、暗記ものの科目ですね。

 

>新学習指導要領にともない、これまでの歴史的事実の羅列を覚えるだけの いわゆる「暗記科目」から現実社会で生きていくうえで本当の意味での社会を知る科目へと変貌をとげる予定だ。

 

それは、結構なことですね。洞察力を磨くための科目になるわけですね。

 

>そもそも今までの社会科で学ぶ歴史も日本で学ぶ歴史と海外で周知されている歴史は大きく異なる。

 

無哲学・能天気の日本で学ぶ歴史には、歴史哲学が反映されていませんね。だから、学問の香りがしませんね。

 

>戦後の日本の教育があらゆる価値判断や因果関係を排除したちぐはぐな事実になっていることが要因といえるが、そのちぐはぐさがより歴史の授業を意味のないものに陥れていると言える。

 

無哲学・能天気の歴史は、無味乾燥の味がしますね。戦前からある序列判断や超国家主義的 (国粋主義的) 傾向を歴史から排除した結果かもしれませんね。

 

>新しく制定される社会科の中では公共の場において主体となって意思決定や行動のできる、主体性を育てることに注目した教育になっている。

 

日本人には意思 (will) がありません。意思は、未来時制の文章内容ですが、日本語文法には時制 (tense) というものがありませんので、日本人には意思がありません。つまり、意思を表す文章ができないのです。ですから、優柔不断・意志薄弱に見えます。恣意 (私意・我がまま・身勝手) はありますが、どこの国でも恣意は容認されていません。ですから、日本人は意思決定をすることもできませんし、恣意的行動をすることも不可能であります。ですから、日本人に主体性を持たせることが極めて難しいことがわかります。

 

>今までのちぐはぐな事実の羅列を教える反復学習からの脱却の糸口となりえる可能性を感じる。

 

学生が、反復学習から解放されると良いですね。Where there’s a will, there’s a way. 意思のあるところに方法 (仕方) があります。日本人には意思がないので、方法が有りません。無為無策でいます。仕方がないので諦めます。目的があって、手段がなくて、義務がある形式になります。一億総玉砕の様なものですね。この不合理を我が国民は改めなくてはなりません。

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)

 

>今後の教育について必要なのは事実の暗記ではなくどれだけ主体性をもって社会に関わっていくか。

 

そうですね。我々に大切なものは、‘We can change!’ (変革可能) の合言葉ですね。

 

>2022年の改定が良い方向に舵をきってくれることに期待する。

 

他力本願・神頼みですね。

 

 

 

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閲覧数785 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/04/21 14:02
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