2019年08月18日(日) 

> (略)

> 戦前戦中の日本も、状況が悪化した時、指導部の不手際という要素を最初から除外して、外的要因に責任転嫁する思考に囚われ続けた。

 

そうですね。日本人には、意思がない。意思の無い人には、責任がない。だから、外的要因に責任転嫁する思考に囚われますね。

 

> 『戦前回帰』でも書いたが、国体明徴運動から敗戦までの10年間、日本を支配した思考を端的に言えば「主観の暴走」に尽きると思う。

 

そうですね。非言語の世界での暴走ですね。

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。

矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを表している。だから、正解は、一つではない。考えの内容は、人様々である。だから、正解も無数にある。

矛盾を含む文章も、その矛盾を取り除けば正しい考えを表すものになる。だから、矛盾の除去には、対話・議論が役に立つ。

 

> 「万邦無比の国体」という主観でしか物事を見ず、客観的視点や合理的判断を捨てた結果、意志決定がことごとく「自分たちに都合のいいシナリオ」に基づくものとなった。

 

国体とは、国家体制のことですね。わが国は、万邦無比の序列国家ですね。

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。 ‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的判断が適切でないと、日本語の日常会話にも差し支えますね。そのうえ、日本人の礼儀作法は、序列作法になっているので、’ものの上下’ という世俗的な心得がないと、礼儀正しい日本人にはなれません。’人を見損なってはいけない’ という想いが高じて、強迫観念の域に達しています。ですから、日本人は、対人関係でいつも緊張していなければなりません。

日本人には意思がない。だが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。それで、意思決定 (理性判断) がなく、恣意決定 (盲目の判断) がある。意思疎通がなく、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) がある。恣意は、バラバラな単語 (小言・片言・独り言) のままで存在し、文章にならないので意味も無い。客観的な視点や合理的な判断が見当たらないので、日本人には説得力もない。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

> 当然現実との齟齬が生じるが、新たな主観的解釈で「自分たちに都合のいいシナリオ」に合っているかのように見せかけた。

 

非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話である。その話がわかる為には、文法に従って、文章内容を理解しなければならない。これは、骨の折れる作業である。だから、日本人は、通常、理解はしない。忖度 (推察) を使って、その場の処理している。

ところが、理解と忖度は、似ても似つかぬ別物である。そのことを日本人は、知らない。’理解’ は、発言者の内容に関する事柄である。しかるに、’忖度’ は、聞き手の勝手な解釈である。発言者には、何の責任の無いことである。だから、忖度する人は、現実直視 (実験と観察) が全くできていないことになる。これは危険というよりも、悲惨なことになる。

山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘している。

「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いている。

 

> 竹槍も特攻も、全て「主観の暴走」が生み出した幻想だったが、今また当時と同じような「主観の暴走」「都合のいいシナリオありきの意志決定」が、国の中枢で行われている。

 

そうですね。都合の良い〇〇〇〇の意思決定とは、恣意決定のことですね。歴史は、繰り返しますね。

我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、言語における時制の大切さを十分に深く理解する必要があますね。さすれば、自己の世界観と意思の表現が可能になり、自己実現の可能性が開かれます。考えの内容を広く世界に理解してもらうことにより自己の信頼が得られるようになります。未来社会の建設に国際的な協力者を得て、人類の進歩に貢献することができます。

 

>(略)

 

 

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閲覧数443 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/08/18 17:49
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