2022年07月24日(日) 

 

>東洋経済オンライン   >ひろゆきと竹中平蔵が問う日本の官僚組織の問題 抜本的に改革できない根本的理由はどこにあるか   > ひろゆき,竹中 平蔵 2022/07/23 10:00  

 (略)   

>竹中平蔵さん(左、撮影:今祥雄)とひろゆきさん(右、写真:本人提供)の対談最終回です   >日本一嫌われた経済学者・竹中平蔵。  >現在パソナグループ会長を務める竹中氏は、〈派遣労働〉の象徴的な存在としては、多くの国民から嫌悪されています。 >そんな竹中平蔵が嫌われる理由と背景を、今や日本を代表するインフルエンサーの一人である「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)」設立者・ひろゆきさんが徹底追及する、最新刊『ひろゆきと考える 竹中平蔵はなぜ嫌われるのか?』。  >今回はその中から、日本で改革が進まない根本的な理由について議論している箇所を、一部抜粋してお届けします。

 

日本で改革が進まない理由は、日本人は世界観を持っていないからではないでしょうか。   

 

>「見えざる手」と「万能の王」の振り子  >竹中 平蔵(以下、竹中):日本は際立っているので残念ですけど、他の国でも多かれ少なかれ抜本的に改革できないという問題がありますよね。 >世界共通の問題とも言えます。 >民主主義の中では、万能の独裁者が全部決めるということはできません。  

 

チャーチルの名言: 民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。     

 

>パワーバランスや支持率といったものを考慮しながら決まっていきますから、じれったいと言えばすごくじれったいし、虚しいと言えば虚しくもある。  >ただそれが現実、リアリズムだとわかった上で、何ができるかを考えていくしかないと思うんです。

 

それは現実に即した考え方ですね。   

 

>歴史の話になりますが、経済学の始まりはアダム・スミスの『国富論』だと言われています。>刊行されたのは1776年、アメリカの独立宣言とも重なる年です。 >その中でアダム・スミスは「見えざる手が働いている」と言ったわけです。 >それ以前にはトマス・ホッブズの『リヴァイアサン』(1651年)という本が書かれていて、清教徒革命などで混乱した社会状況があった。 >その『リヴァイアサン』には「万能の王が出現する」と書かれています。 >何でも完璧にできる王様がいて、その人が全部決めるのがいちばんいいと言っているわけです。

 

万能の王の出現は、神様の出現のようなものですね。神様は頭の中に存在するから、頭の外には出現しないでしょうね。 トマス・ホッブスは失敗しますね。      

 

 

 >それに対して、アダム・スミスは「市場は失敗するけれど、政府の失敗はもっと恐いから、独裁者に任せないで見えざる手でいろいろやっていくのが現実的だ」と応えた。 >どの国のどの時代でも必ず問題はありますが、その際に「見えざる手に任せるべきだ」という思考と、「万能の王が全てやるべきだ」という考えの両極端に振れながら議論は進んでいきます。   

 

そうですね。現在は民主主義と権威主義の戦いですね。

 ロシアに経済制裁を科すことで物価高を招くなどの犠牲は伴っても、自由や民主主義といった普遍的価値を守り実現するためには仕方がないと、政治家は国民を説得し主張すべきだ。  (大澤真幸氏)  

 

>今はどちらかと言うと「万能の王」がほしいですよね。  

 

万能の王が存在すればらくちんですね。   

 

>ただし、ロシアのプーチン大統領のようになると大問題ですが……。 >ひろゆき:コロナ禍においては中国やシンガポールといった強権を振るえる国のほうがうまくやりましたね。 >竹中:そうです。 >民主主義は権威主義に負けている、という。 >権威主義のほうがこうしたパンデミックには親和性がある。

 

戦いのときは権威主義ですね。成吉思汗のようなものですね。   

 

>それだけではなく、今まさに第4次産業革命でビッグデータ・AI・ブロックチェーンなど新しいテクノロジーが出てくる中で、パラダイムが変わるときは権威主義のほうが、なんとなく分(ぶ)がいいように見えるわけです。 >データを用いるときに、「個人データのプライバシーをどうするのか」なんて言わせないで一気にやってしまう中国のほうが強いわけです。 >だから実は今、民主主義のアメリカと権威主義の中国の抜き差しならぬ対立にもなってるわけです。   

 

そうですね。個人主義ない社会は暗いですね。テロが収まらないですね。          

 

>オンライン診療は特例的措置?  >ひろゆき:尚更、今の日本が小手先で何かやってもどうしようもない気がしますね。  >良くなったものを悪い方向に戻す動きまであるじゃないですか。  

 

政治家は何が悪いのかをはっきりと国民に示すべきですね。無哲学・能天気ではいられませんね。義理と人情・建前と本音では政治哲学にはなりませんね。         

 

>オンライン診療もある程度進んで便利になったのに、「あれはコロナの時限的、特例的措置だから元に戻せ」って医師会が言ってますよね。  >竹中:その通りです。 >ひろゆき:どこに住んでても受けられるオンライン診療があるほうが、国民にとって明らかに便利じゃないですか。 >無医村みたいな田舎では特に。 >オンライン診療、受けたくない人は受けなければいいだけですし。 >でも、医師会の人たちが嫌だって言ってるわけじゃないですか。 >オンライン診療を丁寧にやっている医者がいるとそこに人が集まって、なんとなくダラダラやっているリアルの病院にみんな行かなくなっちゃう。 >結果として、そういう病院の仕事がなくなってしまうから。  

 

優れた個人の考えを解説し広める政治家とマスコミの努力が必要ですね。政治には時代の先取りが必要ですからね。      

 

>反対する医師会を尊重して、正義ではない方向に物事が進むのはすげえなって思うんです。

 

義理と人情・建前と本音の人生では夢と希望は育ちませんね。わが国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがないですね。       

 

>竹中:本当にそういうことが現実に今、起こりつつあるわけですよね。 >オンライン診療もしかり、オンライン教育もそうですよね。

 

日本人には政治哲学がないので議論が自由に出来ません。その結果、矛盾が除去できませんね。   

 

>ひろゆきさんは「鉄の三角形」という言葉を聞かれたことはありますか? >ひろゆき:知らないっす。 >竹中:英語では「アイアントライアングル」って言うんですけど、どこの国でもある程度存在する癒着構造です。  

 

我が国の癒着の構造は、’阿吽の呼吸’・’つうかあの仲’ と呼ばれていますね。日本人の道徳なのでしょうかね。     

 

>例えば、医師会のような既得権益を持っている産業界。 >新しい政策をやろうとすると当然、反対します。   

 

昔から ‘何事もお変わりのないのが何よりなこと’ ですからね。   

 

>それから政治献金を受けたり、選挙のとき助けてもらってる政治家がいるわけですよね。 >「族議員」とも呼ばれます。 >既得権益団体と族議員の間を取り持って、根回しをして法律をつくったりするのが官僚です。 >この官僚と既得権益団体と族議員、三者の強い結びつきが「鉄の三角形」です。 >政治が存在する以上、程度の差はあれ、どこの国でもありますが、日本の場合、それが特に強い。   

 

それは残念なことですね。 根本的な治療が必要ですね。     

 

>ひろゆき:なるほど。 >竹中:業界団体が鉄の三角形でものすごい政治力を持っていて、そしてそれに動かされる政治家と官僚がいる。   

 

日本人には処世術 (損得勘定) があって政治哲学 (政治に関する考え) がない。処世術は現実の内容であり、政治哲学は非現実 (考え) の内容ですね。日本語には現実があって、非現実がない。だから、日本人の頭の中には損得勘定ばかりがあって、あるべき姿が想定外となっている。このようなわけで、わが国では英米流の高等教育が成功しません。      

 

>ここの構造は残念ながらずっと変わっていないけれど、それは甘受しながら、変えられるところを少しずつ変えていくしかありません。   

 

日本人の性格の欠点は、日本語文法に基づくところが大であることを国民に周知させる必要がありますね。   

 

>例えば仕事のやり方も兼業・副業がコロナ以降、割と社会に定着してきました。 >フレックスタイムも普及して、電車に乗る時間など、多くの人がちょっとずつ変わっているわけです。>でも、ひろゆきさんが言うように、根本的なところで変えてもらわないと、特に次の若い世代にさまざまなしわ寄せがいくことになってしまいますね。

 

根本的なところは日本語文法ですね。英文法での発想法も覚えると視野が広くなりますね。      

 

>日本と欧米の公務員は何が違う?  >竹中:日本で「鉄の三角形」が特に強固である理由は、官僚にあるんです。 >官僚がものすごい量の情報を抱えていて、その情報を基盤にした力を持っている。  

 

日本には縦社会の人間関係がありますから、序列が温存されてそれが官僚組織の力を発揮しますね。   

 

>ひろゆき:アメリカとかフランスとかって公務員がぽこぽこ辞めたり、そのあとまた民間から公務員に戻ったりする。 >公務員になる人と民間で働く人の人材流通が盛んじゃないっすか。 >アメリカだと政権が変わったら、ひとまず偉い官僚は全員辞めさせられて、共和党なら共和党系、民主党なら民主党系に入れ替わってしまう。

 

偉い官僚はこれまでの政権に対する責任がありますからね。   

 

>そうすると、官僚だけが情報を持ってるという状況にはならないっすよね。 

 

そうですね。  

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ています。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話であります。

宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)   

 

>竹中:ご指摘の通り、ワシントンの場合は、政権が変わったら、官僚のトップ約3000人が入れ替わるわけですよね。 >それはrevolving door(回転ドア)とも呼ばれています。 >ヨーロッパはアメリカに比べると官僚が強いほうだけど、それでも日本みたいに直接的なことはないですよね。  >ひろゆき:日本の場合って、官僚は一度就職したらずっと同じ省庁に勤めて、政権がどう変わろうとずっと同じ省庁で情報を持ち続ける。   

 

我が国の官僚は当家に代々仕える忠義な家臣のようなものですね。天晴な家臣団ですね。  

 

>だから強いわけじゃないっすか。 >法律自体も省庁がつくるわけだから、「こういう法律だから、これできませんよ」って言われちゃうと民間はどうしようもない。  

 

政治哲学のない政治家の情けなさですかね。    

 

>「こういう法律をつくったら自分たちの省庁が得する」ってわかって法律もつくれちゃう。 >官僚を別の省庁に異動させるか、クビにするかっていうどちらかできないと、その仕組みを壊せないですよね。   

 

そうですね。わが国の省庁にも回転ドアの設置が必要ですね。   

 

>日本の官僚主導の問題点  >竹中:おっしゃる通りで、だから第1次安倍内閣のときに公務員制度改革をやろうとしたわけです。 >当時、行革担当大臣の渡辺喜美さんがそれを担当しようとしたんだけれど、自治労のものすごい反対に遭ったんです。   

 

圧力団体ばかりの政界ですね。政治哲学で立つ政治家がいない。       

 

>思い出深いエピソードがあります。 >アメリカから帰ってきた小泉進次郎さんが2009年に初の選挙に出るとき、私は初めて彼に会ったんです。 >そのとき進次郎さんが最初に私にした質問は、すごくストレートでした。 >「先生、官僚主導の何が問題ですか?」って聞かれたんです。  >その際に私は、「2つ問題がある」と答えました。 >1つは、官僚が終身雇用・年功序列でやっているということです、と。 >終身雇用・年功序列だから、国民のために本当にやるべき政策よりも、官僚組織のために何をやったらいいか、自分の先輩が天下りするための仕組みをどうつくったらいいかを考えてしまうわけです。 >政策が官僚の利権になってるということです。

 

官僚のお手盛り政策ですね。’飼い犬に手を噛まれる’ ということですね。   

 

>でも官僚がころころ入れ替わったらそんなことは考えませんよね。 >もう1つは、官僚主導だと大きな制度改革が絶対にできません、と。

 

お手盛り政策では大きな制度改革はできませんね。    

 

>官僚は非常に大きな仕事をしているように一見思えるけれど、国民からの信託を所詮は受けていないので、郵政民営化とかベーシックインカム導入のようなブレイクスルーはできないのです。  

 

官僚には政治責任はありませんね。国の行く末を考える余地はありませんね。政策には時代を先取りする発想が必要ですね。無哲学・能天気の日本人政治家には未来社会の内容は想定外になっていますね。受け売りと後追いを事としていては国は後退を続けるばかりですね。      

 

>この2つが官僚制度の弱点ですと進次郎さんに申し上げたんですよ。   

 

我が国の政治を語る時には、日本病の大きな病因についても語るべきですね。   

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

 

我が民族の序列メンタリティは国がひっくり返った後にも変わりませんでしたね。新憲法の前文には、 ‘・・・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。’ と高らかに宣言しています。地位とは国際社会の序列順位の事で、国際問題に関する問答には関心を持たずにひたすら順位の向上を待ち続ける奇異な民族の代表として存在します。序列メンタリティが邪魔になって問答ができないのか、問答ができないために序列メンタリティから離れられないのか。英語の習得力が不十分なためか。  

 

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閲覧数193 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/07/24 19:02
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