>琉球放送 >「思っているだけでは平和は来ない」この世を去る戦争体験者 次の世代に託された平和のバトン >琉球放送 によるストーリー • 昨日 17:47 >戦後78年の慰霊の日を迎えた沖縄。 >きょうの糸満市摩文仁の平和祈念公園には多くの県民が訪れました。 >戦争の悲惨さを、平和の尊さを改めて考える1日ですが、年々、戦争を体験した世代がこの世を去っている現状もあります。 >減っていく、辛い記憶を思い出してでも多くの人に経験を伝えてきた、沖縄戦を知る語り部たち。 >しかし先人たちから託された未来への希望は戦争を知らない世代の中で 確かに広がりを見せています。 >この世を去る『元学徒』たちが経験した悲惨な沖縄戦 >沖縄戦当時、10代で戦場に駆り出され青春を奪われた学徒たち。 >戦場の凄惨な記憶を背負い、平和を願い続けてきた元学徒たちは、沖縄戦から78年目の今年「沖縄を戦場にすることに断固反対する声明」を発表しました。
戦争をしなければ、沖縄が戦場になることもないですね。
>(元学徒が出した声明) >「今、ロシアによるウクライナ侵攻を背景に、沖縄を含む南西諸島で自衛隊の増強が進められる状況に再び戦争が迫りくる恐怖と強い危機感を覚え、むごい沖縄戦を思い出す。 >元全学徒の会は日本政府による沖縄へのミサイル配備をはじめとする自衛隊増強と軍事要塞化で、再び沖縄を戦場にすることに断固反対する」
{ウクライナの教訓} ‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相) ソ連崩壊によりウクライナは核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに核を示して恫喝した。 これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消え去った。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すもの。1967年 (S42) 12月 佐藤栄作。 日本人のお花畑はもうない。 ‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’ (マシュー・ポッティンジャー)
>「今、日本政府がすべきことは侵略戦争への反省と教訓を踏まえ、非戦の日本国憲法を前面に、近隣の国々や地域と直接対話し、外交で平和を築く努力である」
日本人には意思が無い。意思の無い人には責任がない。兎角この世は無責任。事の成り行きとその顛末ばかりを語っていては平和を築くことはできない。無為無策ということになる。 ‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下) 太平洋戦争の責任者は一人出なかった。
>この声明が発表された1月12日。 >『元学徒の会』共同代表を務める元白梅学徒隊の中山きくさんが亡くなりました。 >元白梅学徒隊 中山きくさん(2015年に取材) >「包帯を交換しろ。 >おしっこがしたい。 >水、みず、もう一日中この中はですね兵隊が叫んでいるんですよ」 >当時、看護要員として戦場に動員されたきくさん。 >薄暗いガマの中に怪我が酷く、足を切り落とさないといけなくなった負傷兵が運ばれてきました。 >のこぎりで骨を切るゴリゴリとした音が響く中、きくさんは泣きながらその体を押さえました。 >ガマの周りには死体が溢れかえっていました。 >まだ16歳だった少女がみたあまりに残酷な現実。 >共に動員された22人の学友は戦場で命を落としました。 >元白梅学徒隊 中山きくさん(2015年に取材) >「なんだか『自分たちだけ生き残って申しけない』という気持ちがあって本当に苦しかった」 >葛藤を乗り越え自身の経験を語れるようになるまで半世紀あまり。 >語り部としての活動をはじめたきくさん。 >戦争の愚かさと平和の大切さを訴え、90歳を超えても次の世代に思いを託し続けました。 >元白梅学徒隊 中山きくさん(2014年に取材) >「一人ひとりの胸にこの体験は残ると思う。 >この子たちが戦争のない国づくりに努力してくれると思う。 >信じています」 >「次は私たちがどう行動するか」語り継ぎは戦争を体験していない世代へ >若梅会会長 いのうえちずさん >「戦前の卒業アルバムですね、何年になるんだろう」 >きくさんから思いを託された一人。 >白梅学徒隊の体験を語り継ぐ『若梅会』会長、いのうえちずさん。 >きくさんが残した膨大な資料を引き継ぎ、学徒の体験を語る証言活動に役立てようと整理を進めています。 >若梅会会長 いのうえちずさん >「メモですね、誰がどんな用件で来たみたいなことがずっと書かれていますね。 >すごくこういうメモの撮り方とかファイルの仕方かに、元学校の先生という丁寧な仕事ぶりというのがすごく伝わる」 >残された資料にはきくさんのこれまでの活動記録や、今と変わらない青春をおくる戦前の学生達の姿が残されています。 >若梅会会長 いのうえちずさん >「大事なものを受け取っちゃったんだという思いでいますね。 >思っているだけでは平和は来ないという話をよくされていて『思っているだけではだめなのよ、行動しなさい』といつも言っていたので、それは肝に銘じて。 >私達なりにできる形で行動していきたいと思っている」 >そして更に下の世代が動きを見せています。 >白梅学徒隊について説明する高校生。 >沖縄尚学・地域研究部の生徒達です― >地域研究部では、戦争の記憶を継承しようと20年前から白梅学徒隊の『後輩』として学徒たちの足跡を辿るガイドを続けています。 >「この辺りに仮設小屋があり 助からない人たちがいたと 昔きくさんがいっていた」 >コロナ禍もあり元学徒たちと交流を持てなかった後輩たちのため、きくさんから直接その体験を聞いた卒業生がガイドに参加。 >先輩から後輩へ白梅学徒隊の歩んだ歴史と学徒たちの思いが伝えられています。 >沖縄尚学高校 地域研究部 玉城美柚さん >「ウクライナで起こっている戦争、そして戦争体験者の方々がどんどん減少している現状をみると、次は私たちがどう行動するかが未来の平和に深くつながる時代になってきていると私は思います」 >きくさんの平和のバトンは、戦争を知らない次の世代に確かにつながっています。
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